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元夫との話。

 ちょっと自慢話から始まってすみません。

 時は昭和時代ですから、ずいぶんと昔のことです。

当時中学生だった私は急にモテ出し、高校の頃には学校で一番人気の先輩に告白されてお付き合いをしました。

でも、身体の関係はありませんでした。

私は中学高校と何人もの男子に告白され、その告白内容から自分が清楚美人に見られていることを認識しました。


 私は地元の短大に進学しました。

短大は女子しかいません。

でも、夏休みにバイト先で知り合った大学4年生の男性と仲良くなり、真面目で誠実な彼に恋をしてしまいました。

彼には、同じ大学4年生の恋人がいましたので、私は自分の気持ちを伝えることも出来ず、彼とは友達関係を維持していました。

 彼は地元でしたが、卒業後、恋人は故郷に帰ると聞いて、私はじっと待ちました。

卒業して社会人となった彼が恋人を失って落ち込んでいましたが、私は清楚な雰囲気を前面に押し出して元気付けてあげました。

案の定、彼は私に振り向いてくれました。

 私は、20歳の誕生日に、彼に処女を捧げました。

間もなく私も社会人となり、再び周りに男性が増えてまたモテ出しましたが、彼を一途に愛し続けました。

そして、私22歳、彼25歳の春、結婚しました。

この時、昭和が終わって3年経っていました。


 結婚生活は幸せでした。

まだ若かったので暫くは子供をもうけず、膣外射精で性生活を営んでおりました。

私は、夫に抱かれているうち性に目覚め、快感に喘いではいましたが、本気で乱れることは出来ませんでした。

私は夫の前でも清楚なイメージを絶対に崩したくありませんでした。

それでも私の身体は夫を欲して、ほぼ毎日夫のペニスを味わっていました。

 結婚3年目のころ、私は上司と出張になりました。

男女の組み合わせで泊りがけの出張は珍しいのですが、急に決まって私しかあいていなかったので止むを得ませんでしたが、私はこの出張で人生二人目の男性を知るのでした。

 出張先で課長に酔わされた私は、気付いたら全裸で課長の腕の中でした。

状況を把握して抵抗しようとしたその瞬間、課長のペニスが私の膣内に挿入されました。

40歳の課長は、夫よりもゆっくりした、でも私の弱点を素早く探り、緩急をつけて私を少しずつ絶頂へ誘いました。

私は、夫では得られない焦らしを交えた課長のセックスに、不貞行為であることも忘れて逝き乱れました。

そして、課長の精液を顔面に浴びました。

「君は、お淑やかな美人妻だと思ったけど、セックスは乱れるんだね。

旦那さんが羨ましいよ…」
私は、あろうことか翌朝も課長に抱かれてしまいました。

私は、夫以外のペニスを知ってしまったのでした。


 私は、月に2~3度課長に抱かれるようになっていました。

私は、課長に抱かれる時は、乱れるのです。

夫には恥ずかしくて見せられなかった性の悦びに乱れる淫らな私は課長の前だけなのです。

でも、課長にも家庭がありますから、会えるのは限られました。

 課長とのダブル不倫は半年で明るみになりました。

夫は嘆き悲しみ、課長の奥様は半狂乱、結局私は離婚されてしまいました。

私は26歳、夫は29歳、まだやり直しが聞きました。

しかし課長は、夫に対する多額の慰謝料を私の分まで支払い、家庭を失いました。

私は、いたたまれなくて会社を辞めました。


 不倫して離婚された娘は実家で疎まれて郷里を追われるように都会に出ました。

しかし、バブルが弾けて私は再就職が難しく、パートタイムでスーパーマーケットなどで働きました。

本社の役員さんが来た時お茶の用意などさせてもらったのが縁で、私は本社に採用されました。

でも、それは役員さんの愛人でした。

「上司と不倫して離婚したんだってねえ。

清楚な外見ではしたないねえ。

私は週1回、60歳の役員さんに抱かれて、週2回、役員さんの30歳の長男さんに抱かれていました。

長男さんは恋人がいらしたのに別れて私と結婚したいと言いました。

長男さんは、私が父親の愛人だと知らなかったのです。

 私は、役員さんの汚らしいペニスを舐めるのも入れられるのも嫌でした。

そこで、長男さんにバツイチであることを告げてそれでも良いのならと問いかけてみました。

長男さんは、私と結婚したいと言ってくれましたが、役員さんの逆鱗に触れてしまいました。

 可愛い息子を誑かしたと判断された私は、縛られて足を拡げられ、辱めを受けました。

バイブで散々逝かされた後開放され、見ず知らずの中年男性3人に次々と抱かれて、恥ずかしながら感じて乱れてしまいました。

3人分の精液を顔にかけられ「退職金だ」と100万円の束を投げられて愛人生活が終わりました。

 翌日、長男さんが尋ねてきて
「貴女はAVに出演した過去があったんですね…セックス狂いの汚い女だったんですね…清楚な振りして僕を騙したんですね…」
と言って、1本のVHSテープを置いて別れを告げられました。

そのテープは、3人の男性に抱かれてはしたなくヨガる私が写っていました。


 30歳になってまた私は居場所を失い、ビル清掃会社で働くようになりました。

私は2年間真面目に働いていましたが、32歳の頃、担当するビルの25歳の男子社員と顔なじみになり、食事に誘われて年甲斐もなく浮かれて出かけ、口説かれて抱かれてしまいました。

7歳年下の彼は、激しく揺さぶるように私を抱きました。

 「美人だ、綺麗だ。

」そういわれるのは何年か振りで勘違いしてしまいました。

彼は、私を清掃作業服のまま抱きたがりました。

2年間身体の関係を続けた後、彼は転勤してしまいました。

もしかしたらプロポーズされるかも…期待した私が馬鹿でした。

2年間、性欲処理に弄ばれただけでした。


 寂しさに落ち込む私を優しく慰めてくれたのは、清掃班の班長でした。

57歳の班長は元はホームレスだったそうで、10年前にアルバイトで採用されて、そこから正社員になったそうです。

私は優しい班長さんに誘われるままアパートまで上がりこんで、つい、寂しい身体を慰められてしまいました。

もう34歳になった私を抱いて、班長さんは娘のような若い女体を抱いたと大喜びでした。

それから週1~2回、肌を合わせるようになりました。

 班長さんは、清掃会社の班員の女性数人と身体の関係を持ってきたそうです。

でも、わけ有りで独り身になった50代の女性ばかりだったそうです。

 班長さんとは、3年でお別れがきました。

還暦を迎えるに当たり、郷里に帰ると言いました。

3年間身体の関係があった男性とお別れするのは辛かったです。

恋愛ではありませんでしたが、情が移っていました。

 私は、39歳まで清掃会社で働きました。

もう、男性と関係することもありませんでした。

アパートに帰って1人分の食事を作り、一人で食べて一人で寝ました。

何が悲しいか分からない涙を流すようになりました。


 40歳を迎える年の春、私は疲れ果て、恥をしのんで郷里に帰りました。

実家には顔を出せませんが、14年ぶりに帰った生まれ育った街は、やはり落ち着きました。

実家とは、新幹線の駅をはさんで反対側に住みました。

実家の様子は見に行きませんでした。

行けば両親に会いたくなります。

生きていればですが…
 地元のホームセンターで働きました。

女1人生きていくには十分でした。

真面目に働いて3年経った3月11日の金曜日、午後の倉庫整理をしていた私は激しい揺れに見舞われました。

金属製の棚が崩れてきました。

揺れはかなり長く続き、終わった頃には倉庫の中は足の踏み場もありませんでした。

 急遽店を閉めて、社員が駐車場に集められて安否を確認が始まりました。

全員の無事を確認後、店舗を施錠して私達女子社員は一時帰宅するよう促され、アパートへ帰ったのですが、部屋の中は悲惨な状態でした。

停電、断水、電話も通じませんでした。

翌日職場に出向きましたが、暫く始業できない旨を告げられました。

私のアパートは壁がヒビだらけで倒壊する危険があるからと、近くの体育館に避難しました。

実家のことが気になりましたが、こんな時に親不孝の娘が顔を出すわけには行きません。

体育館で大人しくしているしかありませんでした。

 体育館でテレビの映像を見て愕然としました。

東北地方はもっと酷いことになっていました。


 市役所の職員が、避難者の身元確認をし始めました。

彼らもまた被災者なのに…
 住所、氏名、生年月日を書き入れて手渡した職員が私の名前を口にして…「君は…」
 14年前に別れた元夫でした。

そうでした、夫はこの街の…私は目を反らしてしまいました。

どの面下げて元夫に合わせる顔がございましょう。

元夫には新しいご家族もいらっしゃるでしょうから、私など邪魔な存在…
 夕方、私服に着替えた元夫が私を呼びに来ました。

私はわざと迷惑そうな顔をして外に出ました。

「久しぶりだな。

元気にしてたか?」「ご無沙汰しております。

その節は、大変なご無礼を…」
「ずっとこの街にいたのか?」「3年前に戻ってきました。

でも、アパートが崩壊しそうで…」
「そうか…再婚したのか?」「色々ありましたが、あれ以来結婚はしていません。

「そうか…俺も同じだ…」「え?…」
「俺のマンションに来るか?賃貸だが部屋は空いているよ。

」「そんな…ご迷惑な…」
「元は一緒に暮らした仲だ。

困った時は頼れ。

私は元夫のマンションに転がり込みました。

まだ完全には片付いていませんでしたが、建物は鉄筋コンクリート造で堅牢でした。

「これ、割れちゃったけど捨てられなくてな…」
私はその場に泣き崩れました。

元夫が持っていたのは新婚旅行の写真でした。


 その夜、久しぶりにお風呂に入って、17年ぶりに元夫に抱かれました。

私のアソコを眺めて「苦労したんだなあ」と言って舐めてくれました。

男性に抱かれたのは、班長さん以来6年ぶりでした。

元夫の懐かしいペニスが私に入ってきました。

私の弱点を覚えていたのでしょうか、いきなり突かれて、そうかと思うと焦らされて…元夫は、若いときのような激しさはなく、昔不倫した課長さんのような中年男性のネットリしたセックスでした。

 あれから何人もの女性と関係を持ったのでしょう。

元夫のペニスは赤黒く、オンナを悦ばせる業に磨きがかかっていました。

私は昔の清楚奥様ではありません。

元夫に膣壁を撫でられて声を出して喘ぎ、あまりの快感に身を捩って激しく乱れ、仰け反って逝きました。

元夫に抱かれて、私は性の快楽だけでなく、心も満たされて涙を流していました。

私はまだ元夫を愛していたことを悟りました。


 私は元夫を裏切った女です。

元夫に抱かれたからといって甘えるわけにはいきません。

 元夫が仕事に出かけた後、一宿一飯の御礼と、抱いてもらって良い思い出が出来たと手紙に残してマンションを後にしました。

行く当もないので、壊れかけのアパートで過ごしました。

そして、やっぱりこの街を出て行くことにしました。

私は郷里に相応しくない女なのです。

 43歳の女が知らない街で1人で生きていくのは容易ではありませんが、元夫に迷惑はかけられません。

不倫元妻と一緒にいたなんてお笑い種です。

使えそうな物だけ荷造りをしました。

これから行き先を考えなければなりません。

前にいた都会に戻るのが最善策と思えました。

ホームセンターにも離職手続きをしなければなりません。

 翌朝、とりあえず住処を見つけに前にいた都会へ出かけようとアパートを出ました。

元夫が立っていました。

「やり直さないか?」「私はあなたに愛される資格のない女です。

「ほれた女の過去は問わない主義なんでね…これ…」
元夫は婚姻届に署名捺印していました。

そして証人欄には私の両親の署名が…私は嗚咽しました。

荷造りした荷物の行き先は元夫のマンションになりました。


 今、私は43歳の妊婦です。

もしダメでも仕方ありませんが、頑張って産みたいです。

夫と再婚してからは、毎晩抱かれて中出しされて逝きまくりでした。

愛する夫とのセックスがこれほど良かったなんて、この年になって知ったのです。

そして妊娠…
 私達の営みは少々変わっています。

夫は離婚後の私の性遍歴を知りませんが、陰唇の色付きを見れば何もなかったとは思わないでしょう。

強姦も蹂躙もされました。

夫は、離婚後に見知らぬ男達に私が抱かれたことを想像して、嫉妬しながら抱くのだそうです。

それを聞かされた私は、夫に謝罪しながら逝かされるのです。

 私はまた、清楚妻に戻りました。

ただ、昔と違うのは、夫に抱かれてオンナの悦びを隠さなくなりました。

快楽を貪る中年夫婦です。