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【エッチな体験談】居候先の叔母とお風呂に入り、フェラしてもらったり童貞を卒業させてもらった

もう13年も前の話です。
会話などは、
会話などは、
覚えていないので会話やシチュエーションはフィクションが多いですm(__)m
当時、高校2年生だった俺は野球部で毎日が練習。
女と付き合うなんて出来ない生活。
女と付き合うなんて出来ない生活。
(坊主だし通学も帰宅時もほとんどむさ苦しい部員と一緒)
でも好きな子はいた。
科は一緒だがクラスが隣の子。
科は一緒だがクラスが隣の子。
まぁ話す事などほとんどなく、遠くから見てる感じ・・・夏休み前、
クラスの奴らは彼女と夏休みデートの予定とかバイトの話とかして盛り上がってたが、俺は部活。
その子を遊びに誘いたかったが、そんなところを野球部の奴らに見つかったら、
無駄に囃し立てられウザイだけだったから、やめた。
(まぁ遊びに誘う勇気も無かっただけだが・・・)
(まぁ遊びに誘う勇気も無かっただけだが・・・)
夏休みに入り、毎日練習。
【エッチな体験談】俺と佳代ちゃんが繋がってる。これが女の子のマンコの中……佳代ちゃんのマンコの中なんだ

佳代ちゃんの話。
佳代ちゃんは俺の返事を聞くと、思い出したかのように「あ、じゃあこれ着けないとね」と、先輩達に渡されたコンドームを取り出した。
佳代ちゃんは俺の返事を聞くと、思い出したかのように「あ、じゃあこれ着けないとね」と、先輩達に渡されたコンドームを取り出した。
「私が着けちゃってもいい?」(着けてみたいって顔で)
「え、あ、うん、いいよ。
」
」
佳代ちゃんはコンドームを自分の手で着けた事があまりないみたいで、コンドームの箱の中に入っていた説明書を注意深く読んでいた。
そしてコンドームの袋をピリッと破いてコンドームを取り出すと、佳代ちゃんは俺の陰茎に手を添えてコンドームを被せた。
先端に空気が入らないように摘まんで、ゆっくりと丁寧に根元までゴムを下していく。
「これでOKだよね?」
「うん……たぶん。
」
」
で、いよいよ合体の時が。
「じゃあ……どうしよっか、ナオ君どういう風にしたい?」(体位の事)
【エッチな体験談】僕は腰にだるさのようなものを感じながら充実感に包まれた。童貞を捨てた日、僕はN江の可愛さにやられっぱなしでした

小学6年生から僕が描き手でN江がヌードモデルとして
絵を通じた付き合いが始まり、早くも中2の秋になりました。
N江という美少女が身近な存在になり、
こんな可愛い子でも普通に性欲があって、
Sの部分もMの部分も持ち合わせていることを知り
この時期、いろいろな意味で勉強になったと思います。
さて、N江の家で精液を飲んでもらい
なぜか吐き気をもよおした僕はあわてて家に帰りましたが
今回は幸いにN江との間には何もわだかまりもない日々を過ごしました。
すっかり秋めいたある日、美術部の活動日のこと。
学園祭が近づいて、急ピッチで絵の創作が続きました。
横からN江が小声で話しかけて来ました。
「ねえ、Sくん」
「ん?」
【エッチな体験談】初々しく甘酸っぱい中学時代の最高の思い出。筆下ろしはプールで15歳年上の水泳インストラクターのお姉さんと「年の差セックス」!

少年だった昭和時代の思い出。
俺は幼稚園の頃から担任だったK子先生と親しく、その妹ヒロミちゃんとも当時から仲良しだった。
14歳で中学2年生の夏、1学期末試験を終えた俺はヒロミちゃんの誘いでファミレスに食事に行った。
ヒロミちゃんはK子先生同様に子供好きで、俺より15歳年上のスイミングインストラクターで独身(よって当時は29歳)。
小学校の頃にはラジコンカーやガンプラなどをプレゼントしてもらったこともあった。
全く太ってなくて、大柄なスポーツウーマン然とした体つきでそばかすのあるやや長めの顔に低い鼻で、パッチリとした二重目蓋の瞳。
そして前髪と下の先端がソバージュがかったロングヘアーのアクティブなお姉さんだ。
ヒロミちゃんは中学、高校、短大と競泳選手で、地区大会でも平泳ぎで優勝した経験もある。
しかし、その日ヒロミちゃんはひどく凹んでいた。
理由は結婚を前提に長らくお付き合いしていた彼氏と別れたからだ。
【エッチな体験談】初のブルートレインでの九州旅行で出会った年上の女子中学生とのウソみたいなホントの素晴らしい少年時代の思い出。

北海道在住の自分は子供の頃、大の鉄道ファンでした。
幼少期にはよく鉄道見学をしたり、プラレールやスーパーレールなどの玩具で遊んだり、鉄道関連の書籍を読んだり、写真を撮影したりしていた。
幼少期にはよく鉄道見学をしたり、プラレールやスーパーレールなどの玩具で遊んだり、鉄道関連の書籍を読んだり、写真を撮影したりしていた。
特に幼稚園時代には近くの大工場の引き込み線の踏切で貨物列車の入れ換えに狂喜していて、踏切警手のおじさんたちの名物にもなっていた。
そんな自分が小学校の頃、巷では「ブルートレインブーム」が巻き起こり、よく親にその最高峰とでも言うべき、牽引機関車のEF65型・1000番台機がヘッドマークを輝かせる東京発九州行きのブルートレインに乗せてくれとせがんでいたが、中々叶わなかった。
それに懲りずに自分は必死で「乗せてくれ!!」と懇願し続けて、両親もその熱意に折れたのか、ようやくO.Kしてくれた。
その頃はブルートレインブームも下火になって久しく、自分は既に中学2年生になっていたが、長年の憧れだったトップクラスの寝台特急に乗って反対側の西日本に行ける時がきたのだ!!
ばんざーい♪
しかも、生まれて初めての長距離の一人旅である。
【エッチな体験談】童貞が可愛くて大好きな奥さんと・・・突然に筆おろし

小学生の頃によく遊んだ空き地に隣り合わせて1軒の平屋かあった。
ボール遊びをしていると、ブロック塀を超えてその家に飛び込むことがしばしばあった。
ボール遊びをしていると、ブロック塀を超えてその家に飛び込むことがしばしばあった。
その日もボールが飛び込んでしまい、取りに行った。
「すみませんボールとらせてください。
」いつもの様に声を掛け、木戸から入りボールを捜す。
随分遠くに飛んで庭に転がっていた。
「すみませんボールとらせてください。
」いつもの様に声を掛け、木戸から入りボールを捜す。
随分遠くに飛んで庭に転がっていた。
そーっと拾いに行き、お礼の声を掛けようと家に目を向けたとき、カーテンの隙間から布団の上で重なっている裸の男女を見てしまった。
衝撃でその日はあわてて帰った。
はじめて落ちているエロ本を見つけた時と似てたかも知れない。
はじめて落ちているエロ本を見つけた時と似てたかも知れない。
数日後、一人でボールを投げ込み、拾いに行った。
心臓がドキドキして手足が震えた。
しかし、あの光景には出会えなかった。
心臓がドキドキして手足が震えた。
しかし、あの光景には出会えなかった。
その後も数回同じ事をしたが、期待みたいなもので興奮しても不完全燃焼、抑える手段も知らなかった。
【エッチな体験談】初めての射精の日に童貞卒業でき、貴重な体験をした

僕は小学校1年の時からスイミングに通っていた。
そこの指定海パンが、ビキニ型のいわゆる競泳パンツってヤツだった。
色はクリームがかった黄色で、股間がかなり目立つ派手なヤツだった。
色はクリームがかった黄色で、股間がかなり目立つ派手なヤツだった。
1年の頃からチンコが大きい方だったんで、よくスイミングの友達からモッコリをからかわれてた。
5年になる頃から、他の子との違いがかなり大きくなり、自分でもモッコリが恥ずかしくなった。
サイズ大きめの海パン穿いたりしたけど、かえってモッコリが目立って困った。
5年になる頃から、他の子との違いがかなり大きくなり、自分でもモッコリが恥ずかしくなった。
サイズ大きめの海パン穿いたりしたけど、かえってモッコリが目立って困った。
コーチの大学生のアドバイスで、逆にうんと小さめのサイズにしてみた。
キツキツでモッコリは無理やり押さえられたけど、今度は半ケツになりやっぱ恥ずかしかった。
その頃、僕の練習する時間に良く会う30歳くらいのオバサンがいた。
休憩中に話しかけられて、泳ぎの話をするうち仲良くなった。
そのオバサンに「どうして水着そんなに小さくしたの?」って聞かれたんで理由を言った。