202
大学時代の出来事。

友達に母を寝取られました。

母は黙っていれば綺麗なのですが、口を開けばそれはうるさいおばさんで、寝取られるなんて想像だにしていませんでした。

母は某牛丼チェーンでパートをしていたのですが、たまたま友達の沢木が食べにいったことから、その関係は始まりました。

沢木はかなり女性遍歴が激しく、一度目を付けたら必ず堕とすと言われていた奴でした。

彼から牛丼屋に綺麗な人妻っぽいのがいるといわれて、すぐにうちの母だと気付いたのですが、素知らぬ顔をしていたら、
「それって池田の母ちゃんじゃね」
ととある馬鹿に余計なことを言われ、
「なんだよ、池田、紹介しろよ」
と言われ断ったのですが、「こいつなんだよ、いい年して超マザコンだよ」
とからかわれたので、渋々家に泊まりにくることを承諾させられました。


沢木とその仲間たち計三人は、その日うちに泊まりに来た。


母はたまたま休みで家におり、元気に挨拶をする沢木らを丁重に部屋にとおしながら私の左耳を摘まむと私を別部屋に引きずりこみ、「何で友達が来るって連絡しないんだ、この馬鹿息子が!」と本気で怒りながらも、得意のチーズハンバーグを短い時間で作り上げ彼らからマジ舌鼓をいただいたのはさすがとしかいいようがなかった。

料理をしているときの母は真剣で、沢木が、お母さん手伝いますよ、とキッチンに入ろうとすると、「男が厨房に入るんじゃないよ!」と一喝し、彼の出鼻をくじいていた。

私は母を口説けるのは生涯で我が父だけだな、とこの時確信したのだったが。


父はおとなしい人で、異常なくらい寡黙で唯一の趣味は読書という地方公務員だった。

その父が一年に一回あるかないかの出張お泊まりの日が今日だというのも何か運命づけられていたのかも知れなかった。

夕食時に沢木が買ってきたワインを母にも振る舞うと、
「あんたたち、ガキのくせにこんな高級なワインを・・・、ああもったいない」とガバガバその高級ワインとやらを飲んでいた。

若い頃から酒の強さには定評のあった母は、私を含め沢木以外の男らを次々と潰し残る奴も蹴散らしてせせら笑おうとしていたのだろうが、さにあらず沢木もなかなかの酒豪だった。


いいねぇ~こういうの大好き。

続き待ってます!


薄れゆく意識の中で、このまま母と沢木を残してぶっ倒れてしまったらヤバイんじゃないか、と思っていたが、体は全くいうことをきかず、それでも現実と夢の中を行ったり来たりしながら母と沢木の会話を聞き逃すまいと頑張っていた。


沢木は酒に酔わせて母をどうにかしようと思っていたのだろうが、逆に母に尺をされ、
「飲め!チャラ男。

あたしゃあんたみたいなのが一番嫌いなんだよ、あっはっはっはっ」
と簡単に体をかわされていた。


数時間後、男子大学生四人をリビングに酔い潰したまま、一人寝室に行き、万が一のために鍵をしめて寝たということを、次の日の朝、おめめパッチリで二日酔いを微塵も見せずに私たちの朝食を作りながら語ってくれた母から聞いた時は、みんなテーブルに突っ伏しており、胃の奥から込み上げてくる吐き気と戦っている最中だった。


「ほれ、早く学校へ行った行った。

あたしは早番なんだから、あんたたちがいると家のことをかたずけてから出掛けられないじゃないの。

リズムを狂わすんじゃないよ」
私たちは強制的に外へ追い出され、手には、殆ど丸々残した朝食を、「こんなに残して勿体無い」と、タッパーに詰められ持たされていた。


駅までの道中、他の二人は、「お前んちの母ちゃん、確かに黙っていれば綺麗かもしれないけど、あれはないわ。

ありゃ、男だわ」
「堕とすとかいう問題じゃない、こっちが殺される」と好き勝手なことをほざいていたが、沢木は一点を見つめたままだった。

「どうしたんだ、沢木」
具合が悪いのだろうと手をさしのべようとすると、それを払いのけ、
「絶対堕としてやる・・・」と小声で言い、そのままふらふらと駅の向こう側へ行ってしまった。


私は何だか嫌な予感を感じたのだが、この時は沢木があんなに早く次の行動をおこすなんて思っていなかった。




沢木と別れた後、大学へ行き二日酔いを堪えながら四時限目までをこなし、フラフラになって帰宅したのはもう夕方だった。

早番のはずの母はまだ帰ってきておらず、家の中は昨夜の宴の後始末がされた、いつもの我が家に戻っていた。

時間にはキッチリしている母の帰りが遅いというだけで少し嫌な感じがした。

母は携帯を持っていないため、こういうときに連絡の取りようがなかった。

一瞬本気で外へ探しに行こうと思ったがやめた。

奴らのいう通りいつからこんなマザコン気質になったんだ、と自分の今取ろうとした行動を恥じていたら、玄関のドアがガチャリと開いた。


「・・・ただいま」
母が帰ってきたのだが、その声には張りがなかった。

いつもは元気いっぱいの母なのに・・・。


「遅くなってごめんね・・・」
「おかえり、どうしたの、何かあった?」
私は喰い気味に応えながら母に近寄った。


私が近寄りすぎたのか母は思いの外驚き少し後退りをし、
「あ・・・あのさ、怒らないで聞いてくれる?」
「?」

確かに様子がおかしいのだが、母の表情は被害者のそれではなく、どちらかといえばもう一方のような気がした。

「あはは、実はさ・・・、沢木君がね・・・」

母の話をまとめるとこうだった。


沢木は私と別れてからお昼前に母の勤めている牛丼屋へ行き、吐き気を堪えてでも母に会いに来たことを告げミニ牛丼を注文したのだが、母の「何だい情けないね、あれくらいの酒で。

五杯や十杯くらいペロッと平らげてみなよ」という発言に、「平らげたらデートしてくれます?」と応酬したところ、「ああいいよ。

食ったらね」という母の不本意な返答を鵜呑みにしてしまい、四杯目の途中で白目をむいて泡を吹きぶっ倒れたのだそうだ。


店内にいたお客からの通報ですぐに救急車がやってきて、救急隊員に「なにがあったのですか」と言われた通報者が、「この店員さんがお客を煽って・・・」と母の疎かな行為をチクったことにより、母はまず救急隊員に怒られ、別の救急隊員が沢木を救急車に運びながら、「この方のお知り合いはおられますか」という問いに気まずそうな感じでそっと手を挙げた母はその人に、「なに、あんたなの? ちっ、じゃあ乗って」と舌打ちをされ沢木とともに救急車に乗せられて病院に着くと、今度は事情を説明した看護士さんとお医者さんに怒られ、挙げ句の果てに後から駆けつけた牛丼屋の店長にこっぴどく怒られた。

沢木は治療室に入れられたがすぐに意識を取り戻し、母が大人なのにものすごく怒られたことを知ると、「すべては自分が招いたことなので池田さんはのせいではないです」と母をかばってくれた。

沢木の様態について医者から言われた診断結果は、「椅子から倒れ落ちたことによる、右人差し指及び右手首並びに右腹部周辺の打撲で全治二週間」だそうだ。


怒るというより、呆れてため息が出た。

何という馬鹿げたことを・・・。

母も母だが、沢木も沢木だ。

あんなに思い詰めた顔をしてこの行動かよ・・・。



「・・・でね、医者が言うには、右手は暫く箸を持つのも困難だろうし、腰にはコルセットをするので重いものも持てないだろうから日常生活に困るだろう、なんていうのよ」

そりゃそうだろうな。

沢木も災難というか何というか・・・。


「だからあたし言ったのよ。

『私が責任もって面倒みます』って」
「え?」
「やっぱりさ、いい年こいて息子の同級生煽ってさ、病院送りにしたのはいくらなんでもまずいよね。

うん、すごい反省してるよ。

だからさ、罪滅ぼしというかなんというか、大人としてさ、彼の面倒をみる義務があるよね、うんうん。

あ、そういう訳で明日から彼のところへ通うから何かと協力してよ。

ていうか、あんたからも謝ってよね。

一応彼は僕のせいだって言ってくれているけどさ、やっぱ友達として・・・」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
私はあらぬ方向へ話が猛スピードで進んでいくのを制した。


「あいつの所へ通うって?」
「そうなのよ、最初はね、『あんたウチの子の同級生なんだから暫くの間ウチに住みなよ』って言ったんだけど、嫌だっていうのよ、彼がね。

だからしょうがないんであたしが行くんだよ。

あ、でもね、今日は取りあえず病院に入院しているからさ、明日からのことなんだけどね」
「ちがうちがう、そうじゃない。

何で母さんが行くことになったんだってこと。

沢木が怪我をしたのは自業自得だろ」
「あんた、話を聞いていないのかい? 今言ったでしょ、あたしにも大人として責任があるって、馬鹿!」
「ちがうよ、その・・・、なんだ。

あいつだって大学生なんだし立派な大人だよ。

・・・大人の男だよ。

そんな野郎の家に毎日通うって、その、ほら、なんだ・・・」
「なによ。

ハッキリしない子だね。

ごにょごにょ言ってんじゃないよ、あたしは明日の準備があるし、あんたやお父さんのことも色々やっておかないといけないし、忙しいんだよ。

ハッキリ言いな、ハッキリと!」母の言い方に少しムッとした私は、
「あのな、あいつは昨日から母さんを口説いていたんだぞ。

今日、店に行ったのだってそれ目的だし、『牛丼5杯食ったらデートして』まで言ってるような奴なんだぞ。

そんな奴の所へ毎日行くなんて・・・、何かあったらどうするんだよ!」思わず声を荒げてしまった私を、母はきょとんとした顔でみていた。

そしておもむろに大声で笑い出した。

「あっはっはっはっは、何あんたそんなこと気にしていたの? あっはっはっはっは、馬鹿だねぇ、そっかそっか母ちゃんがそんなに心配なのか、困った僕ちゃんだねぇ」
「なっ! あ、あのな!」
私の言葉に追い被さるかのように、母が静かに言った。

「大丈夫。

あたしはあんたの母ちゃんだよ。

愛する息子や父ちゃんを裏切ることなんかしないよ。

仮に、ハリウッドスターと一晩過ごしたって万が一の過ちなんておきやしないよ。

あの子だってそりゃ、昨日は色々チャラいことばっか言ってたけどさ、あれは酒の上でのことだろうよ。

酒が入れば場末のスナックの厚化粧のババだって口説きの対象になるよ。

今日のことだって、昨日の今日でまだ冗談が言い足りなかったのよ。

あたしは人を見る目はあんのよ。

うん、あいつはそんなタマじゃないね。

熟女好みというよりロリータ専門だな、うん」いつの間にか、家に帰ってきたときの母とは別人のように、いつもの母の表情になっていた。

「今回のことは本当にあたしが大人として失格だったの。

お世話に行くのは当たり前なんだよ。

だからあんたも協力してよ」母と話をしていくうちに、自然に母のペースになっていき、自分がくだらないことに取り憑かれていたような気がしてきた。

「・・・ああ、分かったよ。

明日取りあえず一緒に行ってさ、俺からも沢木に謝っておくよ」
「頼むよ」
パーンと背中を叩かれ、母は台所へ向かった。

その日の夜帰宅してきた父に事情を説明した母は、物静かな父に、静かにしかしこってりと怒られていた。


次の日、私と母は昼過ぎに沢木のマンションへ向かった。

県外で少し大きな事業をしている父をもつ沢木は他の学生たちと資金面でかなりの差をつけていた。

だが普段の沢木はそれを私たちに自慢する訳でもなく、ただただ女性関係に使っていたので、私たちも普通に付き合っていたのだと思う。


午前中に彼からメールが届いた。

これから病院を出るので迎えは結構です、という内容だった。

まだ一人で歩くことがつらいらしく、(一昨日から)昨日家に泊まっていたあいつら二人に病院まできてもらったのだそうだ。

そのことを伝えると母が、
「昨日お昼過ぎにタクシーで迎えにいくって言っておいたのに。

待ってるように伝えて」
といわれ返信したのだが、これからお世話になるのにそこまでご迷惑はかけられません、と返ってきた。


「なにを変な気を使っているんだろうね。

あっはっは」
私も少し可笑しくなり思わず笑ってしまった。

「怪我をしたり弱ってしまうと、人は余計に他人を気遣うものだ」と誰かが言っていたのを思い出した。



沢木のマンションは五階建てで、生意気にも入口正面にエレベーターが設置してあり、築年数が経っているのかオートロックではなかったがそれなりのものだった。

階段は外付けなので使用するなら一端反対側の非常口から出る必要があった。


エレベーターへ向かい上階へのボタンを押すと、既に一階に到着していたのか扉はすぐに開いた。

乗り込んだ定員数が六人の箱の中は見た目以上に狭く、母との距離が近かった。

私より背の低い母の髪の匂いが鼻をくすぐった。

化粧のそれではなくシャンプーなのか何なのか分からない心地よい香りに包まれた。

母は上部のフロアー表示を黙ってみていた。

この日の母は、ボーダーのTシャツにグレーのパーカーを羽織りピッタリしたデニム姿、動きやすそうないつもの格好をしていた。

母のスカート姿など長いこと見ていなかった。

何年か前に祖父の葬儀での喪服姿が最後だった。


五階につき左奥が沢木の部屋だった。

呼び鈴を押しても返事がないからドアを開け勝手に入るのはいつものことだったのだが、今日は母がいたので軽く声をかけながら入った。

それでも返事はないのだが、リビングには大きなソファーベッドにパジャマ姿の沢木とそれを取り巻く二人がいた。

何やら話をしていたのだろうが、私たちを見るとハッとして会話をやめた。


「ああ、いらっしゃい。

すいません、僕のせいでとんでもないことになってしまって。

暫くの間、ご迷惑かけます」
すぐに笑顔で沢木が答えた。

「いやー、今こいつらと昨日おばさんに酒を飲ませたり失礼なことを言っていたのをどう謝ろうか話していたんですよ。

以外に早かったですね。

話がまとまる前にお着きでした。

はは」
もっとも的なことをいう沢木に、
「あら、あたしは逆に感謝してるわよ。

あんな高いお酒をあんなに飲ませてもらって。

それにこんなおばさんを綺麗だどうとか誉めていただいて。

あんたら若いのにどうかしてたんじゃないの?」
と母がおどけて答えた。


「はい。

どうかしてました」そう言いながら、沢木は頭を掻いて失敗を詫びるような素振りをした。

母が殴るように右手を大きく振り上げると、沢木は隣の奴の背後に隠れようとして、痛てて、と腰を押さえ、母は、調子にのるんじゃないよ、と笑った。


何だか凄く良いムードだった。

昨日の今日でこんなにも関係が良好するものか、と感心を通り越し奇妙にすら感じた。


「あんたたち午後から授業があるんじゃないの。

高い学費払っているんだからサボるんじゃないよ」
母に言われ、本当はサボろうとしていた私と二人の連れは大学へ行くことにした。

おばさんに払ってもらっている訳じゃないんだけどな、と言った奴の頭を母が何の躊躇もなくパーンと張りながら、生意気言ってんじゃないよ、と凄んでいた最中、沢木が私に
「悪いな、色々と。

まとめて謝るわ」
と両手を合わせウインクした。

「高いぞ。

貸しとくからな」と、こっちも謝らなければならないのだが、そう言っといた。

謝ったり謝られたりなんて気恥ずかしくてまともな感じでやってられなかった。


「責任はとるよ」

沢木の言葉に軽い違和感を覚えたが、母の
「早く行け!」
という怒声が私の思考を止め、逃げるという行動に移してしまった。



夕方、家に帰ると誰もいなかった。

母は大概この時間には家におり、夕飯を作っているのだが・・・。


それというのも我が家では、父が判で押したように、毎日六時四十五分に帰宅していたのだが、父は待つということが出来ない人で、着替えを持ちすぐに風呂に入って湯上がりに缶ビールを飲むことを日課としていた。


夕飯の支度がされていなたったり風呂の準備がされていないと途端に不機嫌になった。

別に怒鳴る訳でもなく、いつも通り黙っているだけなのだが、母はそれを嫌っていた。


母はそんな父に、夕飯を作りながら、簡単にさっと一品おつまみを作って差し出していた。

それらが無くなる頃には食卓に料理が並んでおり改めて、いただきます、となり父は更に酒一合を飲む、というのを飽きずに日々繰り返していたのだった。



六時をかなり過ぎた頃、慌てて母が帰ってきた。

「ごめんごめん、遅くなっちゃった。

すぐご飯作らなきゃ。

お父さんが帰ってきちゃう」
母は走って来たのか、髪が多少乱れて汗を結構かいていた。

息も乱れていて全身からムッとした熱気を感じた。


「遅いよ。

何やってたんだよ。

もう父さん帰ってくるよ」
「わかってる。

ごめんてば。

あの子の部屋汚くてねぇ。

掃除するのに結構時間掛かってさ」
パーカーを脱ぎエプロンを着けながら母が答えた。


「そんなこともやってるの? お世話するだけなんじゃないの」
驚いて聞いた私に母は、
「何言ってんのよ、お世話ってそういうものだよ。

ご飯作ったり洗濯したり掃除したりご飯食べさせてあげたり。

あ、悪いけどお風呂沸かしてくんない」
「ご飯?」
「そ、利き手やっちゃったからね。

あ、玄関にさっき買ってきたトイレットペーパーがあるから納戸にしまっといて」

細かい指示を出しながら家事をするのは日常のことで、私もそれに応じながら母に言った。


「左手で食べりゃいいのに」沢木が母に甘えて食べさせてもらっている光景を想像してしまった。

「馬鹿だね、この子は。

難しいんだよ、左手で食べんのは。

あんた今日やってみなよ」
何も答えなかった私に、
「ひょっとして・・・、まだ気にしてるの?」
と母が不安そうに聞いてきた。


いつの間にか、また沢木が母にどうかするんじゃないか、みたいな感情に襲われていた。

そんなことはないって本人も言っていたのに。


「ち、違うよ。

自分だったら食べさせてもらうのは恥ずかしいと思っただけ。

あ、そうだ、石鹸切れていたんだっけ。

出しとくよ」
心を見透かされたような気がしたので、私は誤魔化すかのように言った。


「お、さすが我が息子。

偉い偉い」
手早く冷蔵庫から野菜を取りだしながら、母が答えた。

しゃがんだジーパンの腰から白いパンティがみえた。

親の下着なんか普段は何とも思わないのだが、変に心臓がドキドキした。

私はそれを見ないようにし。

性的なことと親を結びつけたくなかったのだ。


その日の夕食後、いつものように部屋へ行き、日付が変わる少し前に風呂へ入ろうと階下へ行き、ふと居間を覗くと母が携帯を手に一生懸命メールらしきことをしていた。


私は我が目を疑った。

あれ程携帯嫌いを自負していた母に何があったというのか。


「どうしたの、それ」
母は顔をあげずに、
「なにが」
と、私の問い掛けが一切頭に入っていない反応を示し、まだ不馴れな指使いを繰り返していた。


「それだよ、携帯。

ついに買ったの?」
「そんな訳ないでしょ。

渡されたのよ、沢木君に」
「え、渡された? 」
ふう、と息をつき母はようやく私の顔を見た。


沢木のところへ行った母が夕食を作ろうと思い冷蔵庫を開けてみたが何も入っておらず、近くのスーパーへ行ってくることを沢木に告げると、何かあったら困るから携帯番号を教えてくれと言われたのだという。


携帯は持っていないの、と母がいうと、『え、今時、なんでなんで』とお決まりのやり取りがあった後、『じゃあこれ持ってきなよ』と渡されたのだそうだ。


「前の携帯って言ってたわ。

違う携帯会社のにしたんだけど解約し忘れていたんだって。

沢木君の電話番号とアドレス? しか入っていないホントに連絡用なのよ」
見ると最大手のものだったが、あいつこんなの使っていたかな? 思い出せなかった。


「まあ、確かに怪我人を残していって何かあったら嫌だしね」
母はまた携帯の画面に目をやっていた。

返信が気になっているのか、落ち着きがなかった。


「この時間でも、呼ばれたら行くの? 」
壁に掛けられた時計を見ながら私が言うと、
「まさか。

でも、救急車くらい連絡できるでしょ」
それなら、沢木が自分でした方が早いだろう、と思ったが言うのを止めた。

「ほら、そんなこといいから早くお風呂に入っちゃいな。

明日も学校でしょ」
母が携帯を置きながら言った。


「明日、午後からだから早く起こさないでよ」
「わかったから、早く、お風呂! 」

風呂から上がり炭酸系ジュースで喉を潤し、部屋に戻ろうとすると、居間の電気がついていた。

消そうと思い近づくと、母がまだ携帯をいじっていた。


真面目な母のことだから、メールがくるとすぐに返さなければ悪いとでも思っているのだろうか。


あまり、しつこく何だかんだいうのはしたくなかった。

母に疑われるのも、からかわれるのも嫌だったからだ。


私はそっと部屋へ戻った。


次の日の昼前に、私が起きたら母はちょうど出かけるところだった。


「出掛けるとき、戸締まりキチンとしていってよ」

白いポロシャツと黒いパンツ姿の母が、ボーッとしていた私の横をパタパタと通り過ぎた。

玄関へ向かう母から甘い良い香りがした。

それはシャンプーや自然の香りではなかった。



『香水・・・? 』


いってきます、と母は出ていった。

一瞬見えたその横顔は、笑っていたかのように思えた。




どうしても休めない授業を出て、帰ってきたのは五時頃。


母は六時過ぎに、「セーフセーフ」と息を切らしながら帰ってきた。


何をそんなにお世話をすることがあるのだろうか。

うるさがるので余計なことは言わず、おかえり、とだけ言った。


すばやく風呂を沸かし夕食を作り、父の帰宅時間に何とか間に合わせ、家族揃って食卓を囲った。


朝のことが気になり、母の傍へ行き、そっとクンクンと匂いを嗅いでみた。

が、何も匂わない。

どちらかといえば、汗の匂いがするかな、という感じだった。


それに気付いた母が、
「なによ。

・・・人の匂いを嗅いだりして」
と、私から逃げるように体をくねらした。


「いや、別に」

変な子、と母が大皿料理に手を伸ばした。

父は黙々と食事を続けていた。


何も変わらない日常。


本当に何も変わっていないのだろうか。


母の作ってくれた愛情ある食事が、一瞬色褪せて見えたのは、気のせいではなかった。


それから三日目、四日目と、母は毎日沢木のところへ通った。


午後からだったのが午前中からになり、部屋着同然だった服装がブラウスにパンツスーツ的な外着になり、あまつさえ、うっすらと化粧さえするようになった母に一抹の不安を覚え、それとなく問い掛けてみたが、返ってきた答えは、
「外へでるのだから、この位の身だしなみは当たり前でしょ」
というものだった。


明日から週末になるという金曜日の夕食後に、母のパート仲間の大山さんから電話がきた。


大山さんはその名の通り大柄なおばさんで、母に負けず劣らずお喋りな明るい人だった。


子機を手に持ち、「あらあらあらあら、どうもどうも」と居間から出ていった母。


壁に貼ってある銀行からもらったカレンダーの明日の日付には大きく赤丸が書かれていて、『
さくら会 旅行』と記されていた。


さくら会とは、母と大山さんと他二名からなる会で、毎月幾らかの積立をし、旅行をしたり、
少しいいレストランなどで食事をしたりして、日々のストレス解消をするための会だった。


毎年恒例のさくら会の旅行が明日なのは、ずっと前から決まっていたことなのだ。

今年は沢木の件があるから母は不参加なのだろう、と勝手に考えていたのだが、電話を終えた

母が、
「明日の準備をしなきゃ」と子機を台に置きながら呟くように言った。


「旅行、いくの? 」
「当たり前じゃない。

前から言ってたでしょ」
「あいつのとこに行かなくていいの? 」
母は私の顔を見つめ、
「あれ、言ってなかった?週末は彼女が来るからあたしは行かなくていいのよ」
と言った。


母が言うには、沢木は年上のOLとつきあっているらしく、彼女が平日仕事で会えないので週
末にタップリ会うのだという。


私は、その彼女のことについて、沢木から何も聞いていなかった。


「ふうん。

そうなんだ」
そんな彼女がいれば、母に対する一連の行為など冗談に決まっている。

平日に彼女に会えないから溜まっていたのか。

母の言っていた、酔っぱらえば場末のスナックのババすら・・・という言葉を思い出した。


「あ、そうそう。

美味しい温泉まんじゅうのお店があるんだって。

買ってきてあげるからね。

お父さんには、何かお酒のつまみとか買ってこようかね。

楽しみしていなよ」
母はいつも私たち家族のことを考えていた。

そのことが嬉しかった。

「うん。

楽しみにしてるよ」
私は笑顔で答えた。




次の日の朝早く、母は出掛けていった。


そして、その次の日の夜遅くに帰ってきた。



いつもは旅行から帰ってくる日は、夕方早めに帰ってきていたのだが、
「ごめんなさい。

なんだか話が盛り上がっちゃって」 と、お土産と駅前のスーパーの総菜を私らに渡すと、「疲れているから」と寝室へ行ってしまった。

父と私は呆気にとられたが、確かに母は憔悴しきった顔をしていたので、何も言わなかった。


総菜をつまみに酒を飲んでいた父がぽつりと、
「途中で連絡してこないなんて、母さんどうしたんだろうな」
と呟いた。

私も、そうだね、と言い冷めたカニクリームコロッケを食べた。



「母さん、着替えもしないで寝たのかな。

おい、ちょっと見てきてくれ」
二本目の銚子を傾けながら、父が言った。


私は両親の寝室へ行きドアを開けると、母はベッドで死んだように眠っていた。

脱ぎ散らかした上着、ジーパン、靴下が床に散乱していた。

口元まで布団を掛けて寝ていた母を見て、ふと母が下着姿で寝ているのだろうか、と思ってしまった。

母に対して性的な感情を思ってはいけない、なんて言いながらも思ってしまったら仕方がなかった。


父が来ないことを確認して、そっとドアを閉めると、私は母の傍に立ち起こさないようにそっと布団をめくっていった。


心臓がドキドキして、口が渇いてきた。

こんなことしていいのだろうか。

でも、布団をめくる手は止まらなかった。


母は太ももまで隠れる白いロングTシャツで寝ていた。

私は余計に興奮してしまい、そのTシャツの裾を捲ろうとした。


その時、うーん、と母が寝返りを打った。


私はビクッとして、手を離し一歩後ずさりをした。

その時、ドアがガチャリと開き、
「どうした。

おお、ちゃんと寝ているな」
と父が入ってきた。

私は更にビクッとなった。

父に、「どうしたんだ。

そんなに驚いて」と言われ、訳の分からない受け答えをしながら自室へ戻っていった。


部屋に入っても、動悸は暫く止まらず、私は自分のしてしまった行為を後悔した。


次の日、午後から一つだけあった授業を受けた。


昨日の母に対する自分自身の行為が頭から離れなかったため授業も上の空で、誰かと憂さ晴らしにカラオケでもと思えど、こんな時に限って見知った顔もなく、そうかといってまだ家に帰る気にもなれず、何とはなしに大学の最寄り駅近くのコンビニで雑誌を立ち読みしていたら、池田くん、と呼ばれて振り向くと、小悪魔系の女性がニヤニヤと不敵な笑みを浮かべて立っていた。


「何してるの? 授業終わり? 」
笑うと八重歯が見える彼女は滑川さんといって、一回生の頃、必修が一緒でよくノートの貸し借りをしていたのがきっかけで仲良くなった子。

離島の分校出身で、入学当初は黒髪ロングで野暮ったい服装のいかにも田舎から出てきました的な純朴な子だった。

ところが、一回生の夏休み明けに急に路線変更し、ガチンコのギャル系に変身してしまった。

あまりの変貌ぶりに、超可愛い転入生が来た、と噂になったくらい、原型がなくなっていたのだが、元々容姿は整っていたのだから、それは至極当然の変身結果だった。

変貌後からは、あまり大学へ来なくなり、試験の近辺になるとひょっこりと私の前に現れノートを借りていく、という付き合い方に変わったのだが、私が学内で話せる数少ない女性の一人であることには変わりはなかった。


久しぶりだね、という私の挨拶に被せぎみに彼女は、「もう聞いて、超最悪」と話し出した。

付き合っている彼氏と会う予定だったのに、ドタキャンをくらってしまって、このまま帰るのが馬鹿馬鹿しくなっていたのだという内容。


「という訳で、飲みに行こうよ」

私も暇を弄んでいたことを告げると、
「嘘!? 偶然。

じゃあ寂しいもの同志、とことん飲んじゃいますか」
と、滑川さんは私の腕を引った。


私たちは、近くの居酒屋へ行き、数少ない個室をゲット出来たことに小さな幸せを感じ、とりあえず生を注文して、「わっ」と乾杯した。


「二人で飲むのって初めてだっけ? 」
滑川さんがジョッキを一気に半分空けてから言った。

私が、そうだ、と答えると、
「イエーイ! お初だお初だ」と、かなりのハイテンションでまた乾杯を求めてきた。


「滑川さんて、前はこんな感じじゃなかったよね」
「前って、いつ」
「一回生の前期」
「うわぁ。

いつの話をしてるんだ、君は」
タコわさが辛かったのか、変な顔をしながら彼女が言った。


「女は変わるのだよ、常にね。

そういう池田くんは変わんないね」
「そう? 」
「うん。

ずぅっとこんな感じ。

ね、ね、彼女とかいないの」
早くも二杯目のジョッキに入っている彼女は、よく飲みよく喋った。


「いないよ。

二回生の最初に少しだけ付き合っていたけど、すぐに別れて。

それからは全く」
えー!?、誰誰、と滑川さんは私の恋愛話に食い付いた。

あまり広がらないよ、と断り少しだけ説明し、ちょっとだけ盛り上がった。

同じ学部の目立たない子と付き合っていたのだが、滑川さんはその子を知っていたのだという。



「俺のことより滑川さんは誰と付き合っていたのさ」自分の話が照れ臭くなり、彼女に話題を振った。


「あたしは外部が多いからなぁ。

同じ大学だと・・・」
腕を組み天井を見上げ勿体ぶって考えている滑川さんをみて、ちょっと可愛いな、と思ってしまった。

今の今まで本当にそういう目で見ていなかったのだが、彼女のペースで飲んでいたのでいつも以上に早く酔いが回ってきたのかも知れなかったが、彼女の次に発した言葉に、酔いは何処へと消え去った。


「公平くん。

あ、沢木くんて言った方がいいかな」

思わずビールを吹き出しそうになったのを何とか堪えたが、咳き込むことは押さえられなかった。


「えほっ、えふほ、・・・誰だって? 」
私の必死の問いかけに、きょとんとした顔で滑川さんは答えた。

「なーにむせているのよ。

沢木くんよ。

ほら、知っているでしょ」
「いや、知っているよ。

えほっ、そうじゃなくて・・・、え、いつ? なんで? 」

私は、この時何が起こったのか処理をすることが出来なくなり、彼女の発した人名がただグルグルと頭の中を駆け巡っていただけだった。


「いつって、一回生の夏休みかな。

何でって・・・、何でだろ」

「沢木って、沢木だよね」
「そ、公平くん。

池田くんの友達の」
すいませーん、生もう一つ、と彼女は何事もなかったかのようにビールを注文した。

こっちは何事が起こったのかと思った。


沢木と滑川さんが付き合っていた?

そんなこと初めて聞いた。

一回生の夏休みから今日まで、どれだけこの二人会ったことか。


それなのに。


どちらからも聞かされていなかった。


なんで・・・。




「今まで言わなかったのは、隠していたの? 口止めされていたとか」
「え、違うよ。

てっきり知っているのかと思っていたから」
「いや、知らなかった。

結構付き合っていたの? 」
「全然。

夏休み明けには別れていたよ。

あたしが振られたんだけどね」
「でも・・・」

あの時、沢木と接点なんかなかったよね、と私が聞くと、
「何いってんのよ、池田くんが引き合わせてくれたんじゃない」
と言われた。




一回生の夏休み前に、ある講義でグループ課題を出され、同じ班でまだ変貌前の滑川さん含む数人と、何日か掛けて課題制作をしたことがあった。


打ち上げと称してみんなで居酒屋へ行ったのだが、そこに偶然沢木が別の仲間といたのだという。


細かくは覚えていないが、言われてみれば、滑川さんを沢木に紹介したかも知れなかった。


でも、あの時はその程度で終わっていたはずだ。

この後すぐに二次会のカラオケへ流れていったのは記憶に残っていたからだ。

そこに沢木はいなかった。


「一瞬だったよね? 挨拶を交わしたのなんて」
「うーん、そうね。

でも喋ったよ、結構。

池田くん酔ってたから判んないかもしんまいけど」
冷めた唐揚げを食べながら、滑川さんはいった。


「それで・・・、その、すぐに奴のことを好きになったの? 」
私は恐る恐る聞いた。

「まさか! あたしもあの当時はまだウブだったからさ、最初はなんて軽薄な人って思ったよ。

間違っても付き合うことなんてないタイプだって、自分の中で瞬時に分類分けされたわ」

「・・・それなのに、何で付き合うまでの関係になったの? 」

滑川さんがいうには、居酒屋で沢木と初めて会った日の翌日に、自分のアパートの近くのコンビニで沢木と偶然の再会をし、ああだこうだと話をしている内に、その数時間後には自宅のベッドの上でお互いを求め合っていたのだという。


「何で付き合うことのないタイプだった男と、そんな短時間で男女の関係になるの? ひょっとして無理矢理やられちゃったとか? 」
今思えば女性に対してかなり失礼な質問だが、その時の私には心の余裕がまるでなかった。


「でも、男の人って誰でも最初は強引だよね。

それを無理矢理ってとるかどうかはその人次第でしょ」
彼女は微塵も嫌な顔をせずに答えてくれた。


離島から出てくる直前に唯一の同級生の男子とセックスの真似事をしたことがあったから一応は処女ではなかったのだが、ほぼ無垢な彼女はその日から三日三晩沢木に開発をされ、最後には自ら沢木を求め、腰を振り、ヨダレを垂らしながら激しくイってしまったのだと、彼女は身振り手振りを加えながら楽しそうに私に教えてくれた。

「もう、ずっと絶頂って感じ? ビクンビクンって。

それまであたし、イったことなかったからさ、ふふふ」
「三日三晩!? 」
「そ、ほとんど寝なかったなぁ」
「沢木ってそんなにすごいの・・・」
目の前にいる滑川さんの在らぬ姿を想像してしまって口の中が渇いてきた。


「そうね、何がスゴイって・・・」
体力があるのはもちろんのことだが、それにも勝るテクニックがあるのだという。

彼の指使いは繊細で激しく何処を触ればいいのかセンサーでも付いているかのようだし、舌使いは柔らかく強く包みこまれるかのようだし、

「一番はね・・・」
彼のあそこは、正に彼自身のシンボルであり、その出で立ちは長く太く逞しく、天に向かって聳え立つ神柱のようなのだと。


私は言葉が出なかった。


滑川さんは、その後も沢木との情事を、笑いながら話してくれた。

それはそれは大変濃厚な話で、目の前にいるこの子がそんなことまで、と思うと、酔いも手伝ってか嫌でも興奮してきた。


私はその話を聞いているうちに、図らずとも勃起してしまった。


それを気づかれないようにさりげなくポジションを直していたら、
「えいっ! 」
と、いきなり滑川さんが私の股間をタッチしてきた。


「ひゃっ! な、な・・・」
狼狽えてしまった私は、彼女に、
「あー! 池田くん、あたしのこと想像して勃起してるぅ」
と小悪魔顔で笑われた。


「な、なんだよ。

いきなり・・・。

そ、そりゃ、こんな話を聞かされたら、お、男なら誰だって・・・」

「あはは。

いいよいいよ。

あたしそういうの気にしないし。

むしろ好きかも」
そういいながら彼女は小首を傾げた。


元々、私は滑川さんをそういう目で見てはいなかった。

どちらかというと派手めな感じより大人しめの方が好みだったからだ。

昔の滑川さんだったらもっと発展したかも知れなかったが。


だからという訳ではないのだが、下心がなかったという前提で、彼女にどうしても確認したかったことを勇気を出して聞いてみた。


「あ、あのさ・・・」
「ん、なぁに」

私は恥ずかしくて口ごもっていたが、ぶっちゃけ私の性器と沢木のものと、大きさにどれくらいの違いがあるか聞いてみた。


滑川さんは、まさか私からそんな話を降られると思っていなかったのか驚いた表情を見せたが、じゃあ、脱いでみてよ、と言ってきたので、触った感じでいいからさ、と披露は断固拒否したままお願いしてみた。


彼女は考える間もなく、
「全然ちがうよ」
と答えた。


「んーとね、分かりやすく言うと・・・、針金と鉄パイプ? くらい」

分かりやすいのかは知らんが、そんな差ってあるか?
「もはや用途が違うし」
私は更に恥ずかしくなり、苦笑しながら言った。


ホントだぁ、と笑った彼女だったが、
「でもね、池田くんのは普通だとおもうよ。

あ、見ていないから確信じゃないけど。

公平くんのが異常なんだよね」
と、慰めでもなく真剣な感じで言った。


「だから、彼と別れてからは大変なのよ」
滑川さんは自分のおしぼりでテーブルの滴を拭きながら言った。


何が? と聞くほど私は疎くなかったので、黙っていた。


「あたしの今の彼氏はね・・・、黒人の元ポルノ男優よ。

あ、日本じゃなくて向こうでね。

大きさはいいんだけど、テクがねぇ。

巧いんだけど何か物足りなくて・・・」

黒人のポルノ男優!?

そんな奴と比べても尚、沢木は上回るのか。

別に、だからといって男として劣っているとは思えないが、あまりにも自分にないものだらけの沢木の話しに、私は暫く考え込んでしまった。


「あ、でも普通サイズも好きなんだよ。

・・・て、あはは、あたし何言ってんだろ。

酔っちったかな」

確かに何だか変な展開になってきていた。


さっきまで下心がない、なんていっていたのに、もうどこ吹く風だった。


私は私で、昨日の晩母にしてしまった行為を引きずっていたし、彼女は彼女で、抱かれるはずだった彼氏にドタキャンされ、元彼の沢木との情事を話しているうちにおかしくなってきたのだろう。


この時、おそらくどちらかが相手の手を握ったら、そういう関係に陥っていただろうが、それはなかった。

「い、いや実はさ」
暫しの沈黙を破って、私は母と沢木のことを話した。

本当は話す気などまるでなかったのだが、この状況に耐えられず笑い話にでもなればいいと思ってのことだった。


「もう、いくら公平くんでもオバサンになんか手を出さないよ」、という風になると思いきや、滑川さんは真剣に聞いていて、時折深く頷き何やら納得しているように思えた。


「ね、池田くんのママさんの写メある? 」
話を聞き終わるや否や、彼女がそう言ってきたので、携帯の中を探してみると、沢木らが泊まったときのものが数枚あった。


何とはなしに、高級なワインを中心に沢木と母が笑顔で写っている写メを見せると、
「嘘? この人、池田くんのママさん? ウッソー、超綺麗じゃん」
と彼女は驚いた。


池田くんのママさんって背が小さい? と聞いてきたので、そうかな、と答えると滑川さんは少し考えてからこう言った。



「多分もう男女の関係だよ」

「公平くんてあんまし年増に興味がないんだけど、これだけ綺麗な人なら・・・、あるわ」


聞きたくないことだった。


わざと考えないようにしていたことだった。



そんなことを聞きたくて、滑川さんに話した訳ではなかった。



彼女が発した言葉に憤りすら覚えた。



「は? 何言ってるの。

そんなことある訳ないじゃん。

何でそんな断定的に言えるんだよ」

私がそういうと彼女は、
「怒らないでよ。

そう思ったから言っただけなのに。

別に断定的とかじゃないけど・・・、多分って言ったじゃない!? 」
と、少し困惑しながら言った。



「あのな、相手は俺の母親だぞ」

「池田くんからみたらそうだけど、公平くんからみたらただの綺麗な女性だよ」

「あ、あいつからみたって同級生の母ちゃんだ。

年だって、は、離れているし、それに・・・。

普通、同級生の母ちゃんと何かしようと思うかよ。

じ、常識的にさぁ・・・」

言葉が上手く出てこなかった。

滑川さんに反論したところで何も変わる訳じゃないのに、必死で彼女に食って掛かった。


「それは、公平くんには関係ない話だと思うよ。

彼って多分・・・、サイコパスなんだと思う」


・・・なんだ、それ。



私は、訳が判らなくなってきた。

さっきから大声で話していたので喉が痛かった。

目の前には、届いてから一度も口をつけていない生レモン酎ハイの氷が完全に溶けていた。


「・・・ごめん。

意味がまったくわからん」
私は、いつの間にか前のめりになっていたことに気付き、背もたれに寄りかかった。



「つまりね、公平くんて社会の捕食者なんだって」

滑川さんがいうには、サイコパスは病気ではなく人格障害なのだと。

人に対して冷淡で、良心というのがなく、罪悪感もない。

ただ、理屈としては事の善し悪しは区別がつくのだが・・・、ということらしい。


猟奇殺人者とかに多いのだというが、あれはブラックで、沢木はホワイトサイコパスなのだと。


「ホワイト? 」

「政治家とかにいたりするんだって。

頭が良くて、人気があって、常に人の中心にいて、饒舌で・・・、でも嘘つきで。

そのことに罪悪感を覚えないから成り立つ商売だってテレビで言ってたわ。

なんかそう言われると政治家ってみんなそう思えてくるよねー」

政治談義なんてするつもりはなかったので、そんなことはどうでもよかった。


「ちょっとまって」

俺は話題をそらすまいと、滑川さんに疑問をぶつけた。


じゃあ、なにか。

うちの母ちゃんはそのサイコパスで黒人男優以上の性の申し子のような奴の口車にのってしまい、男女の関係になってしまった、ということかと聞くと、それは違う、と否定された。


「あたしが言っているのは、友達のママさんとセックスしても道徳的に何とも思わず、罪悪感もないというところまでで、セックスは池田くんのママさんの自己判断だと思うよ」

「・・・だって、沢木は饒舌で嘘つきだから俺の母親をたらしこんだんだろ? 」

「セックスに嘘はないわ。

レイプされたのなら別だけど、あとは全て合意よ」

「ま、まさか・・・。

滑川さんは俺の母さんをよく知らないからそんなこと言ってるんだよ。

母さんなんて、あれだよ!?・・・」

私は、いかに母が『肝っ玉母さん』かを説いた。

滑川さんは黙って聞いていた。

まだ話の途中だったが、彼女が私を制して言った。


「もういい。

・・・解ったから」

「わかってくれた? でしょ? どう考えたって母さんが沢木となんて現実的にあり得ないっしょ」

「池田くんが何もわかっていないことが解ったのよ」
「は? 何でだよ! 」

「だって、考えてみなよ。

携帯を持たなかった人が、夜な夜なメールをして、香水をつけない人が付けて、服装も気にしだし、時間きっちり人間がルーズになり、あげ句には、家族の輪を築いてきた食卓事情も変わったんでしょ。

お惣菜とかが増えてさ」

滑川さんは一気に話すと、さっき頼んだ芋焼酎のボトルから、ドボドボと自分のコップに半分くらい注ぐと、一息に飲み干した。


「誰が聞いたって、クロでしょ」

ふう、と私から目を逸らして言った。

物分かりの悪い奴に言うかのように。


「そんなことない。

絶対ない! 違うんだって。

うちの母さんは、違うんだよ」
滑川さんは、必死に母のことを話す私を黙って見ていた。

嘲るでもなく非難するでもなく。


「まじめで、家族思いで、そりゃ口は少し悪いし、何かっていうと手が出るけど、料理や掃除、洗濯なんて完璧にこなして、オヤジの帰りを待ち、俺の心配をしてくれて・・・。

だから、そんな。

母さんが他の・・・ましてや、息子の・・・。

違うよ・・・。

絶対に、違うよ・・・」


だんだんと声が小さくなっていった。

どんどん自信が揺らいでいった。



「池田君てさ。

ママさんのこと、よく知らないんだね。

あなたはさっきから『お母さん』ていう一面のことしか言っていないじゃない。

今言ったことって、お母さん業だよ、全部」

滑川さんの言葉に、私は、ハッとした。


彼女は続けた。


「ママさんだって、女性だよ、人間だよ。

池田君があたしと公平君との話に勃起したように、同じことを、ママさんにしたら、女性として何らかの体や心の変化はあると思うよ。

あそこが濡れるかもしれないし、興奮するかもしれないし、抱かれたいって思うかもしれないし。

そんなのはさ、当り前じゃない!? そりゃ、母かもしれないし、妻かもしれないけど・・・、女だもん」



「知ってるよ、そんなこと。

言われなくたってさ! 息子としてじゃなく、人として! 」

何も知らないことを責められているような気がして、大きな声を出してしまった。



彼女は冷静に聞いてきた。


「じゃあ、ママさんって虫歯が何本ある? 好きな下着の色は? 初体験の相手と場所は? 座右の銘は?コンプレックスは? トラウマは? お父さんと最後にセックスしたのはいつでそれはどうだったの? 」


滑川さんは決して責めている口調ではなかった。

まるで家庭教師先の生徒に分かるまで懇切丁寧に教えるように穏やかに、しかしはっきりと凛とした態度で言ってくれた。



「・・・そんなこと、知るわけないよ。

そんなこと知っているからってどうなるというんだよ」


「多分、公平君は知っているよ。

全部かどうかは別としても。

彼ならそのくらい聞いているし、見ているし、感じている。

他の状況から推測していることもあるだろうし。

人間として、女としての池田ママさんと接していると思うよ。

それはママさんにも絶対伝わっている。

だから、身も心も許す存在になっているはず」


言葉が出なかった。



母をよく知っているようにしている自分が、実は一番知らないのかもしれないと思ったと瞬間に、体中の力が抜けた。



その後のことをあまり覚えていない。



滑川さんは携帯が鳴ったので、電話をしに外へ出ていってしまった。


私は、ボトルの焼酎を手酌でガバガバ飲んでいた。


どのくらいかして、彼女は片手でゴメンねとしながら、彼氏と急に会えることになったから行くね、と自分の飲み代より少し多いお金をテーブルに置いた。


私が、おそらく、多いから返すよ的なことを言ったのだろうが、彼女は、いいよいいよ、それよりごめんね、こっちから誘っておいて途中で抜けて。

それと・・・、何か言い過ぎちゃったみたいね。

気にしないでね、と言い残し去っていった。



それから、残っていた焼酎のボトルをすっかり飲んで一時間くらいその場で寝ていたら店員が来て、大丈夫ですか、と声をかけられたので、暗に帰れと言うことなのだろうと解釈し、すいませんを連呼し然るべき料金を支払い外へ出て時間を確認するも、意外と早い時間帯だったので、駅とは逆方向にある大きな公園へ行きベンチで寝ていたところ、巡回中のお巡りさんに声をかけられ、またすいませんを連呼して駅に向かったときには、結構酔いが覚めて、少し冷静さも取りもどしていた。



電車を待つ間、頭の中は先程の滑川さんとの会話で一杯になっていた。


確かに、彼女の言い分には筋が通っていたが、別に見たわけでもないし、沢木に聞いた訳でもないことだ。


ただ、彼女は以前沢木と付き合っていたことがあって、何となく昔のことを思いだし、『そうそう、彼ってそういうとこあるよね』みたいな、いわば元カノというものに酔っていただけなのかもしれなかった。


だからこそ、彼氏から連絡が来たら慌てて駆け出していったじゃないか。


所詮、他人事。

酒の肴になれば面白可笑しく好き勝手に言えばいい。


そんな風に考えていたら電車が来た。


駅に降り改札を出て、ふと右手にある牛丼屋の灯りに目がいった。

 

母が勤めている某チェーン店。


普段は母の出勤時以外でも行くことはほとんどなかったが、この時は何故か足が動いていた。


店内には、中年のサラリーマンの客が一人だけおり、カウンターには暇そうにしていた母の同僚でさくら会の大山さんがこちらをみて、
「いらっしゃ・・・、あらー、池田さんとこのお兄ちゃん!? 」
と、珍客の来店を喜んでくれた。



「この度は母がご迷惑をお掛けしまして」
「あら、そんないいんですよ、それよりお母さん大変だったわね」
と、大人の会話をしていると、サラリーマンがお金を置いて出ていった。


あ、いつもどうもね、と大山さんがお礼を述べ、空いた食器を片しながら、常連さんなのよ、と聞いてもいないのに教えてくれた。





「そういえば、この間の旅行は楽しかったですか」

並を食べながら、思い出したので聞いてみた。


「お陰さまで、楽しかったわ。

あ、そうそう、あのお饅頭食べた? あれ有名なお店でね、並んで買ったのよ。

美味しかったでしょ」

はい、とっても。


母もそうだが、大山さんもかなりの話し好きだ。


旅先で、あれがどうしたこうしたと、楽しそうに話してくれた。


私の頭の中には、まだ行ったことのない情景が、母と大山さんを交えて浮かんでいた。



「・・・あら、ごめんなさいね。

長々と喋っちゃって」

「いえ。

じゃあ、僕はこれで・・・」

お金を置いて帰ろうとしたときに、大山さんから思ってもいなかったことを言われた。




「今度は、一緒に行きましょうって、お母さんに伝えてくださいな」



「!? 」


一瞬、言われた意味が判らなかった。



「・・・行かなかったんですか? うちの母は・・・」

「何いってるのよ。

行ける訳ないじゃないのよ。

ずっと看病とかで通っていたんでしょ? 」
呆れたような顔で、大山さんは私を見た。




え? え? え?


頭の中がぐちゃぐちゃになってきた。



旅行へ行かなかった?


でも、あの日、荷物を抱えて、朝早く出ていった・・・。



行かなかった・・・。



それなら、いったい、どこへ・・・。



まさか、まさか・・・。




じゃあ、あのお土産は!?


「・・・母と最後に会ったのはいつですか」

私は聞いてはいけないようなことを聞いた。


いや、聞いてはいけないのか、聞かなければいいのか判らなかったが、とにかく聞いてしまった。




そんなこととは知らず、大山さんは少し考えてから言った。

「そうね、それこそ、そのお饅頭を渡した日よ。

そこのバスロータリーで。

何か池田さん急いでいたのか、受け取ったらすぐに行かれてしまったから・・・。

旅行の話しもまだしていなかったわね」


母は旅行へ行っていない・・・。



私たちに嘘をついて・・・。



お土産まで用意して・・・。




完全にクロね。



滑川さんの言葉が脳裏をよぎった。



クロ、クロ、クロ、クロ、クロ、クロ、クロ、クロ。



「やだ、お兄ちゃん、まだ酔っているんじゃないの? 」
大山さんに笑われながら店を出た。



駅からの帰り道がいつもと違う風景にみえた。



母を性的な対象に見始めている自分に気付き、それを気負いに感じていたところへ、滑川さんのプロファイリングや、大山さんから聞いた新事実などが、頭の中をグルグルと駆け巡っていた。



もしや、と思っていた最悪のシナリオが、徐々に終幕に向かっているような気がしてきた。


抗いてもムダだ、と誰かに笑われているようだった。



どうしようもない、不安と怒り。



胸の奥がモヤモヤした。



こめかみがキンキンしてきた。



いくら考えても、もう答えは出ているのかもしれなかったが、それでもまだ、母と沢木との間に何かがあったというのを否定したかった。




家に着いたのは、日付が変わる頃だった。


みんな寝静まっているだろうと、そっと玄関を開け中に入ると、居間の電気が付いており、みると父が酒を飲んだまま疲れてしまったのだろう、テーブルに突っ伏して寝ていた。


この状態だと、母は最近の通り、父に惣菜だけ渡して寝てしまったのだろう。


父は当然、こんなことを快く思っている訳がなく、かといって怒鳴ったりすることをしないのだが、酒の量が増していることが、それをよく表していた。


ビール一本、酒一合を適正酒量としていた父は、最近明らかに飲みすぎていた。

テーブルの上は、飲み残しの酒やら惣菜の入れ物らしき空容器が散乱していた。



また、惣菜・・・。




部屋を見渡すと、色々なものが散らかし放題で、何だか埃っぽいような気がした。

最近掃除をしていないのは明らかだった。

どんなに忙しい時だって掃除を欠かさなかった母が・・・。



そう思っていたら、また滑川さんの言葉を思い出した。




お母さん業・・・。




私の中で、母は母でありそれ以上でもそれ以下でもなかった。

自分の親のことを冷静に一人間として見ることができる子が、果たしてどれくらいいるのだろうか。

父と母が性行為をした結果、生を受けたことは誰しもが理屈として判っているが、それすらリアルに想像など、普通しないだろう。




押し入れから薄手のタオルケットを出し、父にかけようとした時に、ふと父の右手の指を見た。

この指で母のあそこをまさぐったことがあるのかと思うと、急に特別なものに思えてきた。


それを、今や沢木が・・・。




ぶるる、と首を振り愚かな想像を打ち消した。



頭を冷やすべく、風呂場へ向かった。


狭いスペースの脱衣所には洗濯機が置いてあり、いつものように脱いだ服を入れようとしたら、母のものが入っていた。


白いブラウスにジーパン。

脇にある洗濯かごには薄いビンクのカーディガンが、どちらも無造作に、グチャっという感じに詰め込まれていた。


普段なら気にも止めないことなのだろうが、そのブラウスが何かを覆い隠しているようにみえた。



思うが、体はもう動いており、中から白い下着を取り出していた。


これまで、手伝いで洗濯物をたたむことはあったが、変な感情を抱いたことはただの一度もなかった。


しかしこの時は明らかに変な感情を抱いていた。



ブラジャーもパンティも全体的に湿っており、女性特有の匂いがむっと鼻孔をくすぐった。



が、手に持った瞬間、それは判った。


母の白い少しだけ飾り気のあるパンティが、汗ではない別のもので濡れていた。

臭いにも覚えのあるそれは・・・、大量の精液だった。





・・・あああああああ。




頭の中で、何かが弾ける音がしたような気がした。


汚ならしいそれを洗濯機に投げ入れ、洗面台で手を洗った。

念入りに怒りをぶちまけるかの如く洗った。



訳がわからないが、これ以上ここにいてはいけないような気がして、さっきまで着ていた服をまた着て脱衣所を出た。



気づいたら両親の寝室のドアを開け、中に入っていた。




真っ暗な部屋、ベッドには母がうつ伏せで寝ていた。


右手には携帯が握り締められていた。


寝る直前までメールをしていたのだろうか。




沢木と直通の専用携帯。



こんなもの・・・。



この光景が余計に腹立たしさを増長させた。




偶然にもこの時、マナーモードの携帯がバイブレーションの音を鳴らし光った。



あのくそ野郎からのメール・・・。



気のせいか、母の寝顔が微笑んだかのように見えた。




くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ! くそ!




私は玄関を出て、小さな車庫に停めてあった自転車に乗ると、そのまま沢木のマンションへ全力で漕ぎだした。



深夜、車など殆んど通っていない道路を必至で突っ走った。



頬には先程から温かい水状のものが流れていた。




・・・涙。



私は泣いていた。



そして、本気で沢木をぶん殴ろうと思っていた。



沢木のマンションへ着き、自転車を乱暴に駐輪スペースへ押し込むと、そのまま正面玄関へ駆け出した。



エレベーターの階数表示は五階を指しており、降りてくるまで待っている余裕などなかったので、非常口から出て外階段で五階まで駆け上った。



沢木の部屋に着き、呼び鈴を連打した。


程無くして、ドアがガチャリと開き、沢木が出てきた。




私を見ると一瞬驚いた顔をしたが、

「よう、どうしたんだ。

こんな時間に」

風呂上がりっぽい髪に少し火照った顔をした沢木が、笑顔でそうほざいた。




「うがぁ! 」

私は沢木に突っ掛かった。


一緒に玄関へ入るような形になり、そのまま廊下の半分くらいまで彼を押していった。




「ァ゛ぁぁああ」


叫びながら私は沢木に殴りがかった。

顔面をジャストミートしたかと思ったが、突然沢木の姿が目の前から消えた。

次の瞬間、私の体は宙に浮きそのまま固い床に背中から落ちた。

ものすごい衝撃が体中を走り、息が出来ない時間が数秒間続いた。

うっすらと目を開け、沢木を見上げた。


何が起こったのか全く判らなかった。



「あ、悪い。

つい体が反応して・・・。

おーい、大丈夫か? 」


武道でもやっているのか、どうやら沢木にパンチをかわされ足払いか何かをくらったようだった。


沢木は心配そうに私に近づき手を差し伸べてきた。



私はその手を払いのけ叫んだ。



「う゛ぁああ! 」


逆にかけた足払いもかわされ、叫び声だけが廊下に響いた。




口元に指を一本立てながら沢木が小声で、

「しー、なんなんだよ、お前は。

いきなりどうしたんだよ」と、言った。



「お、おま、お前・・・、うちの・・・、俺の、か、母ちゃんと・・・、ヒクッ、ヒック・・・」


痛いやら悔しいやら恥ずかしいやら色んな感情が入り交じって、何だか判らないが泣くことを止められなかった。



「泣いてるの? お前」

沢木が心配そうにこちらを見た。

私は涙としゃっくりが止まらず答えられなかったので、ずっと沢木を睨んでいた。




「まあ、とにかく入れよ。

近所迷惑だから静かにな」と、私を起こし部屋へ入っていった。


「靴くらい、脱いで来いよな」


ヒクヒク言いながらも、私はゆっくりと起き上がり、靴を脱ぎ、玄関に投げ、沢木に続いた。





改めて沢木のマンションの間取りについて。


玄関を入ると長い廊下があり向かって右側に洗面所付きのバスルーム、隣はトイレ、左側には手前が部屋になっており、その奥はクローゼットになっていた。



一番奥の部屋は、リビングとダイニングキッチンが一体となった、かなり広めの作りになっていた。


何度か遊びに来たことがある部屋だが、いつもより綺麗に整頓されていた。


やはり母が掃除していったのだろうか。




大型のテレビにオーディオ類、独り暮らしにしては大きなテーブル、それに合わせたクッション、色調が統一された家具、それらが綺麗に整頓されており、自分の部屋と比べると、まるで生活感がない、洒落た感じに思えた。



存在感のあるソファーベッドに敷かれている布団の様子からすると、これから寝ようと思っていたのだろう。



このソファーベッドがあっても、部屋はさほど狭く感じなかった。






沢木が冷蔵庫の扉を開けながら、「なに飲む? ビールでいいか」と聞いてきた。



私はムカッとして、「そ、そんな、も、もんいるか! 」と、怒鳴った。

嗚咽が多少和らいだので、頼りないが言葉が出てくれた。



沢木は、ほら、と外国銘柄の缶ビールを投げて寄越した。

狙ったのか、私の側にあるクッションに、ポスッとおさまった。


私はそれを一瞥し、
「お前、・・・母さんに何をした! 何もしていないなんていわせない!! 」と叫んだ。




沢木はブルトップを、プシュッと開け、缶ビールをグビリと飲んでから


「は? 何言ってんだよ」


と落ち着いた口調で言った。





この場に及んで下手な言い訳の一つでも言うのか、と思っていたら、沢木は極々自然に、こう答えた。




「やったけど? 」


物凄い勢いで言い訳してくるのかと思いきや、あまりに自然に言われたので、聞き逃しそうになった。



「・・・や、やった? 」


言葉の意味が判りカッとなって、
「お、お前・・・、あの時、俺に謝って・・・、だから、おれはてっきり、もう、そんなことは・・・」と、言葉にならない言葉を発していた。


沢木が退院した日、この場所で沢木が私に謝ってきたことを言いたかったのだが、上手く言えなかった。




「? 」

キョトンとした顔で私を見つめていた沢木が口を開いた。



「謝ったのは、お前がせっかく家に泊まりにきてもいいって言ってくれた日に、お前んとこのおばさんを堕とせなくてごめんな、て意味だろうが」



「え? 」



「あの日お前は、俺とおばさんがやってもいいと思ったから、俺を泊めてくれたんだろ? 」




こいつ、なにいってんだ?




「・・・そんな訳ないだろ! 」



「そうなの? でも、あの時そんな話の流れだったぜ・・・」


「な、ば、バカかテメーは!! お、お前らが『うちに遊びにきたい』とか言ってきて、それを断ったら『マザコンだ』とかどうとか言ったから、仕方なく『いい』っつったんだ。

泊まりに来いなんて一言もいってない。

浮かれて酒を買い込んだり、お泊まりセットとか持ってきたりして、勝手に泊まる方向へ持っていったんだろうが! 」



「え、やっぱお前マザコンなのか? 」
グビリとビールを飲みながら沢木が言った。



「だから、何でそうなるんだ! 俺はマザコンじゃねーし、お前らを泊めたのだってうちの母ちゃんとやってもいいという許可を出した訳でもねえよ! どこの世界に自分の母親と同級生とのお膳立てをしてやる息子がいるんだよ!! 」


「ここにいたと思っていたよ。

ははは」

「ふざけんじゃねー! 」

へらへらとしている沢木に殺意すら覚えた。



「がなるなよ。

まあいいよ。

お前が嫌なら止めるよ」

「? 」

沢木は真顔で言った。


「俺はさ、本当にお前がおばさんとの関係を了承してくれているものだと思っていたんだ。

冗談じゃなく。

だから、本気でおばさんにアタックした。

そしたら有難いことに上手くいったよ。

あ、当たり前だけど、脅した

わけでも騙した訳でも、ましてや無理やりした訳でもないからな。

自然に普通に、そう、まるで運命づけられているかのように、なるべくしてなったんだと思う。

・・・とと、本題がずれてきたな、いや、そういう関係なんだけど、友達がそれを嫌だと思っているなら話しは別だ。

明日・・・というか、もう今日だけど、おばさんが来たら言うよ。

『息子が嫌がっているから、もう会わないようにしよう』ってな。

それでいいだろ? こう言っちゃ元も子もないが、お前だって悪いんだぜ。

誤解させるようなことをしたんだからな」


「・・・俺が悪いって言うのか? 」

「お前だけとは言っていない。

俺も悪いし、おばさんだって悪いよな。

みんなだよ、みんな」


「お前は、その友達の母親と関係を持つことに、罪悪感はないのか? 」


「いや、あるよ。

でも好きになってしまったら仕方ないだろう」


「夫や息子がある人を好きになっても関係を持つことは倫理的にどうなんだ」


「倫理的に? マズイと思うね。

でも、だからと言って自分の気持ちを抑える理由にはならない。

禁断とはいえ、恋する気持ちは純粋で尊いものだ」



沢木の論理が独特過ぎて、ため息が出た。


「・・・やっぱりお前はサイコパスだな 」


「なんだ、そりゃ」


私は滑川さんとの一部始終を話した。



「ははは。

あいつらしいな。

でもまさか、お前はあいつの言うことを信じているんじゃないだろうな。

俺は人格障害じゃないぜ。

そんなこと言っているあいつの人格こそ疑うね。

分析好きなんだよな、昔から。

分析をす

るってことは定義づけるということ。

つまり、自分の杓子定規に合わせて他人を型にはめる、いうならばパターン化するってことだ。

自信がないんだろうな、人と接するときに、その人のパターンを見いだせないと。


人十色っていうだろ、パターンなんてものはないんだよ」


「お前はどうなんだよ。

分析しないのか。

しないでどうやって母さんの心を掴んで堕としたんだ」


「堕としたなんて、言葉が悪いな。

誠心誠意、それに尽きるよ。

さすれば心は通じあえるものだ」


何を言っても無駄に思えた。

沢木と話しているうちに、自分の方がおかしなことを言っているようにすら錯覚してきた。

頭の中がごちゃごちゃしてきて何も考えられなくなってきた。




「・・・お前が判んないよ。

何? 友達の母親と関係を持つことはいいのに、それを友達が嫌がっているなら止めるってのか? 何なんだよ、その理屈は」


「当たり前だろ。

俺にとって友の存在は重要だ。

ましてや、お前は俺にとって親友だと思っている。

お前は違うのか? 」

「し、親友って・・・。

俺の母親に手を出しといて、よくそんなことが言えるな。

ふざけてんのか」

「ふざけてる・・・? 」

突然、沢木が大きな声を出した。


「お前も俺のことを親友って思っていてくれてると思うからこそ、お前が了承してくれたんだと思ったんだよ! 」


「なにキレてんだよ! 」


「なんで判ってくれねんだよ! 」


「判んないよ。

親友なんて言われたって、お前と滑川さんが付き合っていたのも、格闘技的なことをやっていたのも、母さんに渡した携帯も、全部知らなかったよ。

こんなの親友関係っていえるのか」


「おい、どうしたんだよ。

親友って情報量じゃないぜ。

相手をどう思っているか、そして信じているかじゃないのか」


「俺はお前を信じていない・・・。

なあ、今までの付き合いからしたって、親友なんておかしくないか。

そんな間柄じゃないぜ。

単なる学部の同級生程度だろうが」

「いいや、信じているよ。

俺には判る」沢木は真っ直ぐな目で私を見つめた。


「あのなあ・・・」私が反論しようとしたのを、それより大きな声で被せてきた。


「とにかく!・・・、もう何時間かすると、おばさんが来るよ。

その時に言う。

もう終わりにしようって。

そして・・・ごめん。

勘違いとはいえ、本当にお前がゴーサインを出していたと思っていたからこそ、おばさん

と関係を持ってしまったんだ。

それは本当に謝る。

・・・誤解なんだよ」



激しかった口調がだんだん弱々しくなっていった沢木は、反省や後悔の念が見え隠れするほどうつむき加減で消沈していった。

拳をぎゅっと握り、唇を噛み、天を仰いだその目には涙すら浮かべていた。


不思議なことに、このとき私は沢木の言うことに嘘はないのだと思った。

思い返してみれば、確かに自分が発した言葉の真意が十分に伝わらなかったのが事の発端で、沢木は誤解したまま行動した結果、偶然にも母と関

係するに至っただけで、責任は自分にもある。


・・・私の勘違い?

何だか言いくるめられたようにも思えたが、沢木が素直に謝ったこと、そしてすぐに母との関係を絶つと宣言したことが、私を妙に納得させた。


「本当に、母さんに言うんだな。

そして終わりにするんだよな」

「ああ、約束する」



私は急に疲れてしまって、力が抜けきってしまっていた。


沢木は、仲直りのつもりか握手を求めてきたが、私はそれに応じず、ただぼんやり沢木を見つめたまま突っ立っていた。


すると、彼はだらりとした私の両手を、実に凛々しい顔で握ってきた。


その手は逞しくて力強くて、何だかとっても堂々としていた。



朝早い時間に沢木のマンションを後にした。



母が7時半過ぎに朝食を作りに来るから、それまでにこのマンションを出ておきたかった。

鉢合わせは避けたかった。

どっちが家族だか判ったもんじゃない。




この日、母は一体どんな気持ちで、沢木の所へ行こうとしていたのだろうか。

私が沢木に会っていたなんて、つゆとも思っていないだろうに。

この事を知ったらショックを受けるだろうか、それとも悲しむだろうか。


ちらにしても、正常ではいられないだろう。

こんな状況でも母の悲しむ姿は見たくなかった。


沢木は母に、私がここへ来たこと、二人の関係を全て知っていること(気づいていること)を伝え、今までの関係に終止符を打とうと提案すると言っていた。

そんなことが出来るのだろうか。


母の気持ちになって考えてみようと思ったが、どうしてもできなかった。

私は母のことが、全く判らなくなってしまっていた。