1859
大人になれない大人”を考える

第56回 ISSA、ほっしゃん。

華原朋美から“大人になれない大人”を考える
ワガママ勝手に振る舞うISSAやほっしゃん。

AKB48河西智美、そして、5年の休業を経て復活した華原朋美。

「好き勝手に生きる人は、幸せを感じない」その理由を考える。


渕上(ふちがみ)賢太郎博士
『モテモテアカデミー』及び『夢を叶えるアカデミー』主宰。

数学、生命科学、行動経済学の博士号を持ち、人の心の動きを論理的に解明する。

真の大人になることを目指している。

山田君
博士を慕う冴えない32歳。

小さなIT企業に勤務する。

博士の教えにより、彼女いない歴=年齢だったモテない人生に終止符を打った。

自由きままに生きることに憧れている。

山田君 僕、周りに気を使って生きてるA型人間なんですよね。


博士 急にどうした?

山田君 DAPUMPのリーダー・ISSAのように好き勝手に生きられたらなと思って。


博士 好き勝手?

山田君 11月29日発売の『週刊文春』で、AKB48の増田有華ちゃんとの「お泊まり愛」と、婚約していた女優の福本幸子さんとの婚約解消が報じられてましたよね。


12月3日のリアルライブによれば、この浮気の結果、有華ちゃんはAKB脱退を決め、福本さんはツイッターに「心臓を激しく刺されても死ねないような拷問」と悲痛な心境をつづっていたと書かれています。


博士 確かにISSAは好き勝手に生きている。


山田君 ISSAだけじゃありません。

AKB48の河西智美ちゃんは、テレビ朝日のバラエティー番組『いきなり!黄金伝説』の企画「1か月1万円生活」が嫌になって途中で逃亡しましたよね。

11月27日のJ-CASTニュースによると、河西智美ちゃんのサボリ癖はこれだけじゃないらしいです。

「体調不良を理由に握手会を欠席、中断、遅刻、早退したのは、08年11月から数えて11回。

劇場公演を休演したのは、08年11月から数えて12回となっている」とあります。

他にも沢山のテレビ番組を途中リタイヤしたり、体調不良を理由で休んでいるらしいです。


博士 それでも河西智美は、『AKBのガチ馬2』で優勝したということでJRAのCM出演権を獲得し、ソロデビューも決定した。

好き勝手に生きて、欲しいものを手に入れている。


山田君 ほっしゃん。

もです。

Twitterでこの離婚を「僕の勝手なワガママ」と言ってますが、12月6日発売の女性セブンによると、「A子さんの親族は、誰ひとり、離婚について聞かされていなかった」とあります。


博士 同号の女性セブンには、福本幸子の母親もISSAからメールを受け取り、そのあとネットを見て事情を知ったというようなことが書いてある。

離婚を親族が知らないなんてあり得ないし、婚約解消をメール一通で相手の親に報告ってのはすごいと思う。


山田君 結局、誰が得かっていえば、周りに迷惑かけてるISSAや河西智美ちゃんやほっしゃん。

ですよ。

僕も、勝手気まま、思いのまま、自由に生きたいです!

博士 いつも周りに気を遣う山田君が、そんな生き方に憧れるのもある程度理解出来る。

僕はアメリカ在住の映画評論家、町山智浩が好きなのだが、ここ数年、彼が時々取り上げているテーマがある。

それは「大人になれない大人」だ。

ISSA、河西智美、ほっしゃん。

は、まさにこの「大人になれない大人」だと思う。

彼らのような生き方が本当に羨むべきものなのか、ちょっと考えてみよう。


山田君 お願いします。


博士 実はここ数年、アメリカでは「大人になれない大人」に関する映画が多くつくられ、支持されている。


町山智浩は「大人になれない大人」に関して、昨年12月23日『小島慶子のキラキラ』というラジオ番組で2011年公開の『ヤング≒アダルト』という映画を取り上げている。


数多くの映画賞にノミネートされていて、シャーリーズ・セロン主演のこの映画は、青春の思い出から逃れられない中年女性を描いている。

主人公は37歳バツイチの売れないゴーストライターで、高校時代は美貌を武器にモテモテの絶頂期を過ごす。

今は、一見、憧れの都会で夢を叶えてスマートに暮らしているように見えるが、心は満たされていない。


仕事は中途半端、恋人も子供もいない、アルコール依存気味。

そんな彼女が、あるきっかけで地元に帰り、既に妻子のいる元カレと会う。

田舎では、同級生たちが地味で平凡だが地に足をつけ幸せそうに暮らしている。

シャーリーズ・セロンは妻子のいる元彼の気持ちを取り戻そうと、子供っぽい言動を繰り返し騒動を起こすという話だ。


山田君 都会で夢を叶えてスマートに暮らしているように見えるアラフォー女性、僕の周りにも多いです。

確かに、好き勝手に生きているようで、実は満たされていないみたいに見えますね。


博士 また、町山智浩は、2009年12月18日に同じラジオ番組で、2009年に公開された映画『マイレージ、マイライフ』を取り上げ、ここでも「大人になれない大人」の話をしていた。

この映画において、ジョージ・クルーニー演じる48歳の主人公は仕事中毒で結婚する気のない独身貴族だ。

ときどき女性と後腐れない関係を持つなど、都会的な生活をクールに楽しんでいる。

最初はそれが最高に楽しいと思っていたが、50歳を目前に、自分の人生が空っぽであることに気付いてしまう。


山田君 なんだか両方とも切ないですね...。


みんなが大人になるわけじゃない…
博士 まだある。

2012年6月に全米公開され初登場No.1を記録し、来年1月18日より日本でも公開予定の大ヒット映画『テッド』。

これは、ファンタジー・コメディなんだが、自宅ソファーでマリファナを片手にB級映画を満喫する30代のダメ男ジョンと、その親友のダメ"ぬいぐるみ"テッドの話で、やはり「大人になれない大人」がテーマとしてある。

ちなみにこの映画の字幕には町山智浩が関わっているな。


するとテディベアに魂が宿り2人は「一生親友だ」と約束をする。

それから27年が経ち、ジョンとテッドは30代の中年になったが、約束通り"親友"として今日も自宅ソファーでマリファナを片手にB級映画を満喫する。

そんなジョンに恋人が自立を迫り...というストーリーだ。

これを町山智浩は7月17日の『たまむすび』という番組で話していた。


山田君 確かにこれも自分勝手に生きているダメ大人ですね。


博士 映画『ヤング≒アダルト』のキャッチフレーズは"誰でも歳をとるが、みんなが大人になるわけじゃない(Everyonegetsold.Noteveryonegrowsup)"だ。


山田君 これらの映画の主人公たちは、みんな自由に生きているのに満たされない思いを抱えているんですか?何で彼らは好きに生きているのに幸せを感じないんでしょう?

博士 それは、彼らが社会に関わらず、自由きままに生きていることと関係している。

まずは、彼らに共通する特徴を述べよう。

それは2つある。

まず1つ目は、これまで自分の思うがままに生きて来れたということだ。


山田君 なるほど。


博士 3月31日の『ライムスター宇多丸のウークエンドシャッフル』という番組で、これまた町山智浩が、「通過儀礼」というものを紹介していた。

彼によると、我々は、ある時期までは両親が守ってくれて、自分の好きなことを好きなようにしていいとう世界に生きている。

みんなが味方で、みんなが優しい。

しかし、社会に出ると、とたんにとても理不尽で、自分を否定され、敵だらけの世界に放り出される。

これが大人になるために重要なことらしい。


この「通過儀礼」は、儀式として行われたりする。

たとえば、大学の体育会系の部活では、理不尽なイジメのような儀式があったりする。

部という組織で先輩に絶対服従を強いられたりする。

このような通過儀礼を経験した体育会系の人間を会社組織は取りたがったりするよな。

なぜなら彼らが大人だからだ。


山田君 そういう経験をしていない人は大人になるということを意識しにくいってことですか?もう1つはなんでしょう。


博士 もう1つは、自分の思うがままに生きることが素晴らしいという価値観で生きている、ということだ。

芸能人でいえば、浜崎あゆみや沢尻エリカのような類いだ。

一見それは最高の生き方のように思えるが、それが子供のままでいさせることになる。


山田君 なんで、それが幸せを感じることの邪魔になるのでしょう?

博士 大人になるというのは、一言で言えば、会社組織、家族、地域社会に属し、貢献することだ。

自分の希望や夢を叶えることが一番ではなく、それらのコミュニティに身をささげた生き方をすることになる。

それができたとき、我々はその人を大人と呼ぶ。

通過儀礼も、自分の好き勝手に生きることをよしとしない考え方も、会社組織、家族、地域社会に属す上で必要になる。


山田君 なるほど。


博士 考えてみて欲しい。

僕も山田君も、みんな社会に属して生きているんだ。

山田君は結婚していないが、会社員として会社に属して、給料はもらいながらも一応、本当に一応、わずかながら、社会貢献している。

そうでない人間よりは大人だな。


山田君 はあ。


社会に属することが大人になること
博士 でも、本当に好き勝手に生きている人もいる。

たとえば、いい年をして趣味に没頭して、バイトで生活している人。

金持ちの愛人になってお小遣いをもらいながら遊び暮らしている人。

彼らは、我々が属している世界に属していない。


最初に山田君があげた、ISSAや河西智美やほっしゃん。

はどうだ?もし、我々が彼らに同じようなことをされたら、それこそ、「心臓を激しく刺されても死ねないような拷問」を受けるような気持ちになるだろう。

浜崎あゆみも、沢尻エリカも、ワガママを言われればそのたびに関わる人間は振り回される。


大人になっていないということは、その社会に属していないということだ。

社会に属している我々からしたら、属していない彼らはどうでもいい、あるいは迷惑な存在なわけだ。

 それが彼らに虚しさを作ることになる。


山田君 どういうことですか?

博士 人は、実は誰からも認められたいと思っている。

前回も登場したが、青森県恐山菩提寺院代の禅僧・南直哉(みなみじきさい)は、「それは人が、そもそも自分が何なのかという根拠が根本的に欠けているからだと説明」する。

我々は、いつのまにか自分の意志と関係なく生まれ、いつのまにか社会の中で暮らしている。

自分が何者かを知るため、最初我々は、それを「高級車を持っている僕」「○○の社員の僕」「○○の資格を持っている僕」と"所有"によって満たそうとする。

だが、それだと切りがない。

なぜなら、それはその人が何なのかを示しているわけではないからだ。

次に、我々は他人との関係の中で自分を見いだす。

会社に貢献出来ている僕、妻や子供に必要とされている僕、地域社会になくてはならない僕という具合だ。


「大人になれない大人」は、自分が何なのかよくわからない。

存在価値がよくわからない自分になってしまっているんだよ。


山田君 へえ。


自由に生きるという考え方は新しい
博士 以前も述べたが、我々人間という生き物は、社会の中で生きるように作られている。

組織や集団に属して、それに貢献しなければ、安定した幸福や安らぎを感じられないように出来ているのだと思う。


山田君 なるほど。

仕事人間は、仕事をしているときだけ満たされるけど、家では孤独だったりしますよね。

そういうことだったんですね。


博士 ついその直前まで、我々は組織の中や社会のがんじがらめに生きてきたので、「好き勝手生きることが最高」という価値観にハマったのだろう。

たとえば2008年のレオナルド・デカプリオ主演の映画『レボリューショナリー・ロード』では、1950年代のアメリカの家族が描かれている。

この時代、夫は働き、妻は専業主婦で子供を何人も作り、幸せな家庭を築くのが当たり前だった。

ところが映画の中で妻は、この決められた、自分の自由を全て夫や子どものために犠牲にする人生に耐えられなくなり、ノイローゼになっていくさまが描かれている。


日本などは、もともとアメリカ以上に組織が一番、コミュニティが一番で、自分を犠牲にするのが当たり前な社会だったので、「自由に好き勝手生きる」という考え方は斬新で素晴らしいアイデアのように思え、人々が飛びついたのだと予想する。

実際、今出ている女性誌のほとんどは、キラキラ輝く自分って素敵、生きたいように生きようなどと今も勧め続けている。

それには限度があり、虚しくなってしまうことを知らないかのようだ。


山田君 なるほど...。

じゃあ、どうやって生きたらいいんですか?大人になって社会の犠牲になればいいってわけでもないですよね。


博士 犠牲になればいいんだよ。

子供のうちに自分のワガママや、言いたいことを言い、通過儀礼を経て「自分などどうてもいい」ということが心の底から理解出来たとき、そして実践出来た時に大人となる。

町山智浩は、アメコミのヒーローも似た経緯をたどると言っていた。

自分のために生きていた弱い主人公が、葛藤を乗り越え、人々のために生きるようになる。

これが大人ってやつだ。


上沼恵美子は、そういう意味で、完璧な大人だった。

彼女と一緒に仕事をしたことがあるのだが、彼女は、一生懸命仕事をこなし、番組を成功させるために全力を尽くしている。

さらに、夫よりもお金を稼いでいるにも関わらず、家族のために家に帰って、食事を作ったりして夫を立てている。

ある番組の「打ち上げ」があったのだが、夫のご飯を作るために、打ち上げを途中で切り上げて、帰っていった。

彼女は仕事も家族も、その組織の一員として完璧にこなしているように感じたよ。

彼女には、「大人になれない大人」のような空虚感はないと思う。


山田君 そういえば、以前はまさに大人になれない大人の代表って感じだった華原朋美ちゃんが、12月5日の『2012FNS歌謡祭』で5年ぶりに復活しましたよね。

直筆メッセージで「今までお世話になったすべての方々に恩返しのつもりで精一杯頑張るつもりです」と書いてましたけど、彼女は大人になることができるんでしょうか?

博士 世間から干され、誰にも相手にされなかったのが、もう一度自分の意志で歌を歌いに戻ってきた。

これは大人への「通過儀礼」を通ったとも言えるかもしれない。

彼女が、今後一切仕事をキャンセルせず、周りに貢献し続けたとしたら、それは大人になったということかもしれないな。


山田君 よし、僕もさっそく大人になろう。


博士 お、いいぞ。

何をするんだ?

山田君 周りに迷惑をかけてばかりいる大人になれないISSAに注意してきます。

「僕のゆったんを返せ」ってね。


博士 それは、…子供だと思う。
サンプル