kimama0809-01
ある夫婦の話。

夫婦は昭和24年に結婚。

時には無理難題を言い出す夫を妻は献身的に支えてきた。

夫が残業後に突然、会社の部下を自宅に連れてきたときも嫌な顔をせずもてなした。

夫が趣味の釣りに行く日は午前3時に弁当を用意し、熱いコーヒーをいれた。

夫も妻を愛し、しばしば2人で旅行に出かけたという。


夫は、平成3年に膀胱(ぼうこう)がんで手術をしたころから体調を崩しがちだった。

11年に頸椎(けいつい)の手術をして以降は介護を必要とする状態で、
22年12月には自宅で転倒したことにより完全な寝たきり状態となった。

妻は食事やおむつの交換など生活全般の世話をしていた。

昔気質(かたぎ)の夫は、あまり妻に対する感謝を口にすることはなかった。

体の自由が利かないいらだちからか、不満があると怒鳴り出すこともあった。


今年1月、夫は肺炎で入院した。

その時の検査で腎臓がんが見つかり、すでに末期で手術もできない状態だった。

妻と息子2人は対応を話し合い、妻は「病院をたらい回しにされたら、おじいちゃんがかわいそうや」
と思って自宅に引き取ることを決めた。

夫には、末期がんであることを知らせていなかった。


それからも、苛酷な介護の日々は続いた。

昼夜を問わず、2時間ごとのおむつ交換。

妻1人で寝たきりの夫のおむつを交換し、足を持ち上げてズボンをはかせるなどの作業は、
1回で1時間ほどかかる。

ほとんど夜も眠れない生活で、妻は心身ともに極度の疲労を抱えるに至った。


 「おむつ交換は大変やから、他の人にはさせられへん。

おじいちゃんも私にしてほしいと思っている」。

妻は周囲に助けを求めず、弱音を吐くこともなかった。

近くに住む長男夫婦は、平気な顔で介護にあたる様子を見て「おばあちゃんなら大丈夫」と思っていたという。


妻は最後まで「若い人には迷惑かけられへん。

自分さえ我慢すればいい」との姿勢を崩さなかった。


2月28日未明。

この日も一晩中おむつ交換を繰り返しながら朝を迎えた妻は、寝不足でフラフラの状態だった。

午前6時ごろ、交換した直後に夫が排泄(はいせつ)したため妻が思わず「またかい」とつぶやいたところ、
気を悪くしたのか、夫はおむつを交換しやすいように足を曲げるなどの協力をせず、妻を困らせた。


妻の頭の中で何かが弾けた。


 「こんなに尽くしているのに、なぜ意地悪をするのか」
「夫を残して私が先に死んだら、息子たちが苦労する」…。

さまざまな思いが駆け巡り、とっさに台所へ走って包丁(刃渡り約18センチ)を手にした。


寝室に戻った妻は、目を閉じてベッドに横たわる夫の腹に、右手で握った包丁を突き刺した。


 「なにすんねん」。

目を開いて驚く夫に、妻は「あんただけ先には行かせへんで。

私もすぐに行くよ」と語りかけた。

すると、夫は抵抗せず、「お茶ちょうだい」といった。


妻が慌てて2、3口を飲ませると、夫は「もういい」と言って目を閉じた。

それが最後の言葉だった。


大量の出血を見てわれに返った妻は「助けたい」と思って119番し、長男夫婦にも連絡。

「自分も死にたい」という気持ちがあったが、誰か来たときに汚れたおむつがあるといけないと思って片づけ、
保険証などをかばんに入れて病院に行く準備をした。


ほどなく、救急や警察、長男夫婦が相次いで駆けつけた。

夫は心肺停止状態で病院に運ばれ、妻はその場で現行犯逮捕された。


9月4日から開かれた公判で証言台に立った長男夫婦は
「もう少し父母の気持ちが分かっていれば、こんなことにならなかった。

後悔しています」と涙ながらに陳述した。

「おじいちゃんは恨んでいない。

これからはみんなでおばあちゃんを支えます」として、寛大な判決を求めた。


すでに保釈されていた妻は、弁護人の隣に座って微動だにせずやりとりを聞いていた。

5日に行われた被告人質問では、
「辛抱できなかった自分が悪い。

とんでもないことをして、おじいちゃんに申し訳ないと思っています」と謝罪。

「今は心にぽっかり穴が開いたようで…。

おじいちゃんと一緒に暮らしていたころが一番よかった」と述べた。


判決は「殺人罪の中でも特に軽い刑に処するべき類型に当たる」として執行猶予をつけた。

量刑理由では次のように言及している。


「我慢が限界に達してとっさに殺意を抱いたものであり、犯行に至る経緯には同情でき、心情も理解できる。

夫は刺された後に何ら抵抗していないことなどから、妻を強く恨んでいたとは認められない」

裁判長は言い渡しを終えた後、妻に向かって
「これからの余生、ご主人の霊を弔って、家族のためにも、十分あなたの人生を生きてください」と説諭した。

閉廷後の法廷では、家族が嗚咽(おえつ)する声だけがいつまでも響き渡っていた。
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