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少し長いかも。

俺が小学校にあがる前、
結構歳行った母さんが妊娠して妹が産まれた。

その前には弟が産まれるはずだったんだけど、母さんは俺がまだ小さい頃に脳梗塞で倒れて、弟が腹に入っていた時も家の事は一人でやっていたために腹に負担が掛かって6ヶ月で死産した。

妹が産まれた時母さん41。

オヤジが多分39。

俺六歳。


母さんは再婚で、うちは男2人の女3人兄弟で上3人の姉貴2人と兄貴とは父親が違う。

弟が死んでもまだ5歳くらいの俺には悲しいなんてものは解らず、気が付けば妹が既に母さんの腹に居てたってかんじ。

末っ子だった当時の俺としては俺より可愛がられてる妹が堪らなく嫌で仕方なかった。

冷蔵庫にジュースが入っていて在る時俺がそれを飲んだことを母が知るやいなや訳も解らない俺を怒鳴り散らしたり。

小学生の時は妹が俺の勉強道具に油性ペンで落書きして俺が叱ったら逆に俺が親父に蹴りで吹き飛ばされたりしていた。

母さんは睡眠薬を飲まないと眠れない体質で、多量に飲むとラリって意味不明な言動や行動を発する事が度々あった。

その際に俺が妹をいじめているなどと親父にデマを言って、それを聞いて怒涛した親父が俺を殴って仕舞いには痛くて歩けないくらいにまでされることなんて日常茶飯事だった。

そんな俺を見て既に結婚して家を出ていた兄貴がたまに俺に物を買ってくれたり母さんにやりすぎだと注意してくれることがあった。

でも母さんはそれが気に入らないからと、また俺に死ねだのお前は私の子供じゃないと罵声を浴びせてきた。

そんな母さんを姉貴たちや親父は観て見ぬ振りをかましてた。

俺が小学校卒業するまで妹と俺に対する依怙贔屓は無くならず、俺が中学二年ほどまでまだあった。

詳しく言えば中学の時に俺のCDがCD収納boxから消えている事があって、すぐに妹の元にあるとわかった俺は、
俺「俺お前に確か〇〇のCD貸したよな?それまだお前俺に返してないよな?どこにある?」
妹「えっ?いや借りたけどすぐ返したじゃん、知らない」
いくら問いつめても知らないとシカトを決め込む妹にたいし俺はキレて、
俺「テメェ以外に俺の物触るクズが何処に居んのよ?!あぁ?!さっさとグダグダ言ってねえで探せや!」と真夜中に怒鳴った事があった。

それを観ていた母さんと親父が割って入ってきて、
親父「お前がそこまで言うなら家の中ひっくり返して探せ!」と言って来たので、腹が立った俺は本当に妹の机をひっくり返して探してみるとあっさりとCDが出て来やがった。

母さんも親父も妹の肩を持っていてこのザマだったために何も言えず、俺の顔を観ようとはしなかった。

すると母さんが口を開き、
母さん「確かにちゃんと返さなかった妹が悪いけど、たかがCD如きでいきり立つお前はもっと悪い」と逆に悪者扱いされた。

何かもう情けなくて急に泣きたくなった俺はその時暴走族の幹部をしていて、同じチームだった友達の家に逃げるようにして行った。

理由こそ聞かれることもなく、言うことも無かったけど悔しくて朝まで泣いた。

俺の夜遊びや、傷害事件の事で親と喧嘩をした時には常に、
「お前みたいに妹までクズになったら大変だ。

これ以上この家で出来損ないを出すな」と口癖のごとく言われても来て、確かに出来損ないは俺だけだったが、親に見放された気がしてた俺にとっては、頭からガラスの大きい破片が突き刺さってきたように辛く痛い言葉だった。

散々親を憎んでいた俺だったけど、中学卒業前に万引きで警察に捕まったときに店と警察に頭を深く下げていた情けない母さんをみて、俺は心底馬鹿だったなと気が付いた。

そしてその時に暴走族を抜けた。

今は高校にこそ行っていないが真面目に働いて家にも少ないけど毎月きちんとお金は入れている。

妹の事も恨んでたばっかりダった俺だけど、実は今は何よりも可愛くて仕方が無くて、少しでも学校で虐められて帰ってきたらすぐに走って妹をいじめた奴を焼きを入れに行くくらい大切な妹。

俺の好きなアーティストが目覚ましテレビに出ていると、
「お兄ちゃん!〇〇が出てるよ!何か喋ってるよ!早く起きないと終わっちゃうよ!!」と起こしてくれたりもする。

俺が風邪を引いて嘔吐を繰り返していた時には、
「お兄ちゃん大丈夫?」と声を掛けてくれてたそんな妹が俺を見て自分まで具合悪くして、俺と同じ症状でうなされながら川の字で寝て母さんに看病されてるくらい仲が良い。

妹は少し神経質な所があって、少しでも怖いテレビを観たりするとうなされてすぐ俺の布団に潜ってきたりする事も週2回はある。

俺が小さい頃遊びに行く度着いていくと言って利かなくて物凄くウザかったけど、今は俺が引っ張って歩くくらいです。

思ったけどそんな俺ってマザコンシスコンなんでしょうか?
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