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私の下着好きは小学校の6年生の時に、姉に姉の下着を無理やり着せられたことに始まります。


当時、姉は中学2年生で茶目っ気たっぷりの開けっぴろげな性格で、「男の子が女の子の下着を着けるとどうなのか?」を知りたがっていました。

その実験台に私はされてしまったのです。

私が学校から帰ると姉貴の部屋に連れ込まれ、着ているものをすべて剥ぎ取られました。


そして姉貴は自分のタンスからパンティー、ブラジャー、スリップを取り出して「これを着な」と言ったのです。


喧嘩では姉貴には敵わなかった私は、姉の命ずるままに姉の下着たちを着けました。

サイズ的には小柄な私には多少大きかったのですが、それなりの着こなしを姉がしてくれましたので、ジャストフィットでした。
当時、ようやくオナニーを覚え始めたばかりの私には、姉の下着を着たことで愚息が膨張してしまった原因が分かりませんでした。

そのときは、ただ愚息が膨張し、なぜか気持ちがよくなったということだけでした。

そのときの思い出で、未だに忘れられないのが、スリップの感触がことのほか気持ちよかったことです。

特にブラジャーやパンティーと擦れて、スリップ独特の衣擦れが心地よかったのです。


姉貴からは感想を求められましたが、当時どのように答えたか覚えていません。

恥ずかしさのあまり碌な感想は言っていないと思います。


その後、何回か姉に姉の下着を着せられたことがありますが、2回目以降は私も心の中で楽しみにしていたと思います。


私が中学生になってからは、姉はもう私を使っての下着遊びをしなくなりました。

そうなると、私の方が姉の下着が恋しくなり、姉が居ないことを確認して姉のタンスから下着を拝借することが多くなりました。

姉ももう高校生になっていましたので、下着もそれなりに可愛いものが多くなり、姉のタンスを開けるのが私の楽しみの一つになっていました。


姉の下着を拝借してする事と言えば、着てみることは当然ですが、愚息の慰めのためのアイテムとしての活用です。


そして、悲劇はついに起きたのです。


私が高校2年生の秋でした。

姉は短大の1年生です。

私はいつものように姉のタンスからパンティー、ブラジャー、スリップ等々10枚ほど拝借して自分の部屋に持ち込みました。

そして、いつものように姉の下着達を身にまとい、余った下着、パンティーとスリップを愚息に巻き付け慰めていたのです。


当時は元気一杯、精力旺盛な愚息です。

2回や3回は余裕で、まだ元気モリモリの愚息を4回目の慰めの最中でした。

不覚でした。

姉が帰ってきたことに全く気づかず、愚息が最高潮に達しようとしたときに部屋の扉が・・・。

そうです、姉が入ってきたのです。


私は当然姉の下着だけしか身につけていませんし、左手には姉のブラジャーを持って鼻にあてがっていましたし、右手には愚息に巻き付けた姉のスリップをしっかりと握りしめていました。


「◯◯◯(私の名前)!なにやってんの!」と姉は言って、私の頭をバシッ!と叩いたのです。


その後、姉は私を「変態」呼ばわりです。

母にも告げ口されるし、最悪でした。


その日から数日経ったある日、私は母から居間に呼ばれました。


そこには、姉も一緒にいたのです。

なんとなく気まずい雰囲気が感じられました。


(ちょっとやばいかな・・・)と思いましたが、まな板の鯉です。


どうすることも出来ないので、黙って母の話を聞くことにしました。

正確な言葉は覚えていませんが、大体、次のようなことです。


「お前、本当に下着欲しいのかい?」
「まさか、人様の下着、盗んでないだろうね?」
「お前が夜中に人様の下着盗んで捕まったりしたら、母さん死ぬよ。

みっともないからね」
「息子が下着泥棒で捕まって新聞でも出たら、お姉ちゃんだって学校やめなくちゃならなくなるからね。

恥ずかしくて」

・・・等々。


私には返す言葉がありませんでした。

ただ黙って、下を向いているしか無かったのです。

1時間くらいでしょうか、母と姉に小言を言われていたのは。

そろそろ終わりかなと思っていましたが、最後に母と姉からとんでも無い提案が出されました。

実際、驚きました。


「お前が欲しいのはパンツかい?ブラジャーかい?それともシュミーズ(スリップ)かい?」
「そんなに欲しいのなら、お前の分も買ってあげるよ」
「その代わり、お願いだから人様のモノ盗まないと約束だよ。

いいかい?」

・・・等々。


これには本当に驚きました。


親父に報告されるのかと思っていた私には、突然のこの言葉は、意外と言うより呆気に取られてしまいました。

と同時に心のどこかで「ラッキー」と思っていました。


母は当然、私に返答を要求しましたが、まさか「解りました。

下着買って下さい」とは言葉にして言えませんでした。

私の返事は下を向いたまま、顔を真っ赤にして「うん」と頷くことしか出来ませんでした。


早速、次の日、母と姉は私のために『女性用下着』をスーパーに買いに行ってくれました。


結構、下着選びに時間をかけたらしく、買って貰った下着はバリエーションが豊富でした。

パンティーとショーツが10枚くらいと、ブラジャーが3枚だったと思います。

それにスリップが5枚だったと覚えてます。


色とか柄はもう思い出せませんが、中高生用の下着ではなく、大人用でした。

白のものが多かったような気がします。

でも、よく考えて買ったものだと思います。

パンティーやショーツは毎日穿くものだからそれだけ数が必要ですから、10枚くらいというのは妥当な線です。

ブラジャー3枚、これも至極当然です。

ブラジャーは本来、男には必要のないものですからそう数は入らないのです。

スリップ5枚、こちらはシャツ代わりですので少し多めにといったところでしょうか。

出来れば、パンストとか、生理用ショーツも欲しかったのですが、この際ですから文句は言えません。


買ってきた下着を私に渡す時に、母は「学校には、絶対着て行っちゃダメだよ。

家にいるときだったら、ずっと着てていいから」と釘を差していきました。


私は生半可な返事をしたと思います。


それから余談ですが、部屋で買って貰った下着を着けているとき、姉が入ってきて「ブラってのは、こうして着けるんだよ」と言って、前後ろ逆にしてホックを留めて回してくれました。

それからストラップのアジャスターの調節もしてくれました。

カップはAなのですが、どうしてもトップが潰れるので(当然ですよね。

お乳が無いのですから)詰め物として姉のパッドを1組くれました。

それにショーツやパンティーを汚さないためにナプキンやシートを使うことも教えてくれました。


「お前の場合は、前が汚れるからライナーを前に張って使いな」と言って、パンティーライナーを袋ごとくれました。


やはり、姉も女なんだとそのとき感心しました。


姉のおかげでそれなり(?)に形の整った下着姿になりました。

姉と二人で姿見で前や後ろの確認をしました。

なんかすごい姉だなぁと、そのときは思っていました。


この日以来、私は母との約束を黙殺しながら、ほぼ毎日、女性下着を着けて学校に通いました。

夏の時期や体育の授業がある日以外はすべて下着女装です。


でも、病気ですね。

こうして天下晴れて、下着女装が家族公認になったのですが、姉の下着でオナニーは止められませんでした。

やはり、姉の居ないことを確認しては、姉のタンスから下着を拝借して身に着けてはオナニーを繰り返していました。

このことには、姉も知っていたらしく黙認みたいで、姉からは何も問いただされたことはありません。

幾ら元通りに姉の下着を畳んで戻したとしても、どこか違うものです。

当然、姉も気付いていたと思います。

それを見て見ぬ振りしてくれた姉は立派(?)です。


今でも感謝しています、そんな弟思いの姉を。




ここからは少しシリアスになりますが、姉との奇妙な関係についてです。


実は、私と姉とは血が繋がってはいないのです。


私はお袋の再婚によって、一度に親父と姉が出来たのです。

つまり、姉は親父の連れ子で、私はお袋の連れ子なのです。

ただ、両親の再婚の時期が、私がまだ幼稚園に通っていた頃ですから、ほとんど意識せずに親父と姉を、本当の親父や姉として受け入れることが出来たのです。

姉が最初に家に来たときから、私は姉の後ばかり追っかけていました。

ほとんど『金魚の糞』状態でした。


元来、泣き虫で身体の小さい私は、何かあるとすぐに助けてくれる姉が好きでした。

いじめられたりしていると姉が飛んできて「弟に何するの」と言って相手をやっつけてくれていました。

そして、姉はいつでも私の頼みや願いを叶えてくれていました。

姉の方は私のことを本当の弟でないことを意識していたようです。

だからこそ、本当の弟以上に可愛がってくれたのです。


私が姉を実の姉ではないと意識し始めたのは、ちょうどオナニー事件が発覚した頃でした。

姉を異性として意識していたのです。

だから姉の下着でオナニーすることは純粋に異性としての彼女を意識してのことでした。

とは言え、当時の私は晩生だったのか女性の性器に関する知識をほとんど持っておらず、本気で「赤ちゃんは、お母さんのお腹が割れて出てくるのだ」と信じていました。

確かに、お袋や姉ともよく一緒にお風呂に入り、姉の胸の膨らみや薄っすらとしたヘアなどを見てはいたのですが、直に性器を見たことは一度も無かったのです。

既に経験済みの友達から「女性の性器は素晴らしい。

後光が差していて、まるで天国だよ」と聞かされてはいました。

そして、その話を真に受けていた私でした。


そして、運命の日が来たのです。

それは、あの『姉の下着でオナニー事件』から二ヶ月くらい後のことです。


元来、委細構わず開けっぴろげの姉ですから、その日もまだお昼過ぎだというのに下着姿で居間のソファーに横になっていました。

姉は眠ってはいなかったようです。

偶然、居間に入った私は下着姿の姉を見つけました。


姉を異性として意識し始めていた私は、姉にじゃれるように近寄って行って、姉のスリップの裾を少し上にずらしたり、スリップの中を覗き込んだりしました。


姉は「何すんのさ、スケベ」と言って、私を振り払いました。


それでも、私は止めずにもう一度、姉のスリップの中を覗き込もうとしてました。

当然、ここで姉から拒否されると思っていた私に、姉は「そんなに見たいのか?」と言ってきました。

私はてっきりブラジャーとパンティー姿になった姉を見せてくれるのだと思い、「うん、順ねえ(姉のことをそう呼んでいました)の見たい」と返事をしました。


ところが姉は、黙ってスリップを脱ぎ捨てたかと思うと、今度はブラジャーも取って、パンティーも脱いでしまったのです。


姉は裸体になってしまったのです。

私は姉に何も言えませんでした。

姉の生まれたままの姿の美しさに引き込まれていったのです。


そして、姉は「ここも、見たいんだろう?見したげるよ」と言って、ヘアの下の性器までも見せてくれたのです。


そこにある姉の性器は、私が想像していたものとは別のものでした。

素直に表現すると『グロテスク』なものという印象でした。

そんな姉の性器を見てしまった私は、もう見たくないと思いました。

でも、私のそんな気持ちとは裏腹に、私の愚息は充血していました。

オナニーするときよりも何倍も膨張して痛いくらいでした。

私は真っ赤になりながらも姉の性器から目が離せませんでした。


姉は私から目を逸らしていました。


それから先は、男と女です。

ましてや、血の繋がらない姉弟です。

行くところまで行ってしまいました。


あんなに気の強い姉が泣きました。

そんな姉の涙の意味は私には分からなかったのです。

ましてや、姉がバージンだったことも後で知った私でした。


心の奥から強い自責の念が猛烈に込み上げてきたことを今でも思い出します。

幾ら血が繋がらない姉弟とはいえ、越えてはならない線を越えてしまった自分が忌まわしく思えてなりませんでした。


私をいつも大切にしてくれた姉を、私はこんな形で裏切ったことが恥ずかしいと言うより、人間として最低な男だと思えて仕方ありませんでした。


でも、姉はそんな私を責めませんでした。

それどころか、「おねえが悪かったんだから、気にすんな」と言って、また優しく抱いてくれました。

私は姉の暖かい胸の中で泣きじゃくりました。


姉が短大1年、私が高校2年の秋のことでした。